

僕のブログでも、著名な夫婦のお話をしたいと思います。僕はまだ独り身ですが

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「悪法も法」という言葉がありますが、「防空法」は悪法もいいところ。これまで10回にわたって書かせていただいたのですが、憤りさえおぼえました。いくらお上が決めたことでも、悪法であれば従う必要はないとおもうんですよね。
戦時中、敢えて政府や軍部の意向に逆らい、多数の命を救った良識派もいました。今日はその良識派の人たちを取り上げます。
1 新潟市の場合
新潟市は昭和20年(1945年)8月まで大規模な空襲を受けませんでした。そんな新潟にも8月10日、空襲に合いました。死者は47名だったそうです。その日、新潟知事・畠田昌福が知事布告をだしました。「(8月6日に落とされた広島の原発は)従来の民防空対策をもってはよく対抗しえない程度のもので人命被害もまた実に莫大」であり、「この新型爆弾はわが国未被害年新潟に対する爆撃に、近くしようせられる公算極めて大きいのである」と。
そして、畠田知事は「新潟にも原爆が落とされたら大変」ということで市民に「徹底的人員疎開」を命じました。内務省は新潟市民の疎開に不快感を示しましたが、畠田知事は市民の命を守ることを優先したのです。
市内から郊外へ向かう道は人々であふれかえったといいます。当時は車もあまり普及していない時代でしたから、大八車を押して避難した人も少なくなかったそうです。結局新潟市に原爆が落とされることはなかったのですが、避難が禁じられた時代に、その禁を破ってまで市民を守った畠田知事の決断はすばらしいなって。
ちなみに、新潟がアメリカの原爆投下であることが判明したのは戦後のことでした。
2 八戸市の場合
青森県八戸市は、昭和20年(1945年)7月14日と8月9日に空襲を受けていました。さらに「8月17日に大空襲を実施する」という米軍による予告ビラも撒布されました。八戸市民も恐怖におびえたといいます。
そこで八戸市の山内亮市長は、8月10日付で市街地からの「総撤退」を命じました。市民はみな避難をし、戸市は「さながら無人の廃墟の街のごとき」と言い伝えられるほど。
山内市長は、戦時下の市民の食糧確保に奔走したといわれております
※ 参考文献
1945年(昭和20年)8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下されました。おびただしい被害がでました。8月8日に防空総本部がこのような声明を発表しました。8月8日といえば長崎に原爆が落とされる前日ですね。
「(広島に落とされた)新型爆弾は現地報告によると落下傘のようなものをつけて投下するもので、大爆音を発し、相当広範囲に被害を及ぼすものであるが、次の諸点に注意すれば被害を最小限にとどめ、かつ有効な措置であるから各人は実行しなければならぬ」とし、「敵機は一機でも油断禁物、待避壕に待避し、待避壕に掩蓋(※1)がない場合は毛布や布団をかぶって待避する。」と。
翌日の8月9日で発表された対策は「軍服程度の衣類を着用していれヤケドの心配はない。防空頭巾および手袋を着用しておれば手足を完全にヤケドから保護することができる」
さらに「新型爆弾もさほど恐れることはない」とまで言い切っているのです。
防空総本部は広島の原爆のことを知らないのかと思わず思ってしまいます。
さらに防空総本部が11日付で発表したのは
「破壊された建物から火を発することがあるから初期防火に注意する」
「白い下着の類はやけどを防ぐのに有効である」
白い下着がなぜ原爆の爆風に有効なのか謎ですが、ともかく原爆まで大したことがないと言い切る防空総本部の見通しの甘さにあきれてしまいます。現代に例えるなら「コロナはただの風邪だ。マスクなんてするな。じゃんじゃん外に出て経済活動をしろ」と官房長官が言うようなものです。
※1 陣地・ざんごうなどに、敵弾の危害を防ぐため、設ける屋根。
※ 参考文献
「一部に家を空っぽにして逃げたり、田畑を捨てて山中に小屋を建てて出てこないというものがあるそうだが、もってのほかである。こんなものは防空法によって処罰できるのであるから断固たる処置をとる。勝つには積極的精神、この精神をもって一にも二にも戦力を充実することである。(略)敵が去ったならば直ちに秦らう、どんなことがあっても増産を確保する。この心構えで敢闘する。それを空襲だからと一日も二日も秦からず逃げ回ったりするものがあれば、当然処罰する。(『東奥日報』昭和20年7月18日付)さらに、金井知事は7月28日までにもどらないと、町会台帳から逃げた人間(家族)の名前を削除すると脅しをかけてきたのです。町内会の台帳から名前が消えるということは、町内会の人たちから非国民のレッテルをはられてしまい、また配給物も止められてしまうということです。配給物は町内台帳に書いている名前をもとに配られるものです。戦時中は配給制でした。食べ物などが配られなくなることは大変なことです。ましてや赤ん坊がいるお母さんにとっては大変です。赤ちゃんのミルクがもらえなくなるのですから。食べ物を買うにしても闇ルートで買うしかない。今みたいに自由にスーパーで買い物ができる時代とえらい違います。