history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

カテゴリ:日本の歴史 地域史 > 沖縄・北海道等の歴史




1 安室奈美恵さん引退
 安室奈美恵さん、引退されましたな。寂しい限りです。まさに歌姫の称号にふさわしい25年間だったと思います。日本の歌姫といえば、古くは美空ひばりさん、ちあきなおみさん、山口百恵さん、テレサ・テンさん、松田聖子さん、中森明菜さん、平成に入ってからは、浜崎あゆみさんや宇多田ヒカルさん、西野カナさんという具合に世代によって違うと思うのです。

が、僕の世代はやはり安室奈美恵さんでしょう。もちろん、あゆもヒッキーも捨てがたいですが、安室さんの歌を聴くと青春時代を思い出しますもの、僕の世代は。「Don't wanna cry」とか「CAN YOU CELEBRATE」とか。また、彼女は歌だけでなくファッションセンスも抜群で、彼女の影響を受けた少女たちは「アムラー」とよばれました。

また、ガングロなんてはやりましたね。あれも安室さんの影響でしょう。最初のころは浅い日焼けだったのが、だんだんオーバーになって、次第にヤマンバみたいになってきましたよね。僕はガングロの高校生を見るたびに、「おいおい、安室さんはそんなに肌黒くないぞ、安室さんに失礼じゃないか」って内心思いましたもの。その女子高校生たちも今や母となり高校生の子供がいても不思議じゃない年齢になったかと。

でも、僕はファンの方には大変申し訳ないのですが、安室さんはあんまり好きな歌手ではありませんでした。僕はglobeのKEIKOさんやEvery Little Thingの持田香織さんのほうが好きでしたし、よく聴いていました。とういか今も時々聴きます。でも、安室さんもいい曲いっぱいあります。最近の「HELLO」(リオオリンピックのテーマソング)もいい歌です。でも、僕が安室さんの歌で一番好きなのは「NEVER END」です。壮大なスケールの曲で、沖縄という感じがする歌です。それもそのはず、この歌は2000年に行われた沖縄サミットのテーマソングです。

2 小渕恵三元首相の願い
 沖縄サミットが開催されたのが2000年。早いものですね。あれから18年もたつのか。沖縄サミットも昨日の出来事かと思っていたけれど、歴史の教科書にのるような話になったのですね。実は、開催地が沖縄にすんなり決まったわけではなかったのです。2000年のサミット会場は札幌、千葉、横浜、福岡などが名乗りをあげ、沖縄は一番不利だったのです。それが逆転したのは、沖縄サミットを決めた小渕恵三元総理の英断だったのです。それは1999年4月のことでした。ある新聞は「久々に政治をみた」と評価しました。小渕元総理も沖縄サミットが決まった際「沖縄の長い歴史の痛み」と言及されたとか。

沖縄サミットの際、テーマソングを小室哲哉さんにつくってほしいとお願いしたのが、小渕元総理でした。また、小渕元総理は「ぜひ安室奈美恵さんに歌ってもらいたい」という注文も同時に入れたといいます。安室さんは沖縄のご出身。この上ない人選だと思われます。

その後、楽曲は完成したが小渕が急に亡くなられたことを受け、明るかった曲調をこの楽曲の曲調に変え、作り直したといいます。どうりで、この曲はどこか悲し気な感じがすると思いましたね。この曲は沖縄サミットを祝う曲でもありますが、小渕元総理への追悼の意味も込められているのかなと思いました。そして、この曲は沖縄サミット本番でも歌われました。

あと、沖縄サミットといえば2000円札も発行されました。守礼門の絵がプリントされているやつですね。2000円札を作ろうと考えたもの小渕元総理です。でも、最近2000円札ってみませんね。僕も前に持っていましたが。ちなみに2000円札は今も使えるそうです。でも、今の若い子は2000円札わかるかなあ?たとえば客がコンビニに行って2000円札を若い店員さんに渡したら、若い店員さんが目を白黒させて、偽札じゃないのという目で客をみるなんて光景もこの先あるかもしれない???

3 沖縄サミット
 小渕総理が亡くなったので、沖縄サミットには後継の森喜朗元総理が出席されました。アメリカからはクリントン元大統領が、イギリスからはブレア元首相が出席しました。ロシアからはプーチン大統領が出席しました。各国の首脳たちが変わっていく中で、いまだに権力を握り続けているプーチンは恐ろしいなと改めて思います。

サミットに出席した首脳たちは以下の通り。


日本         森喜朗(議長・日本国内閣総理大臣)
フランス       ジャック・シラク(フランス共和国大統領)
アメリカ合衆国    ビル・クリントン(アメリカ合衆国大統領)
イギリス       トニー・ブレア(イギリス首相)
ドイツ        ゲアハルト・シュレーダー(ドイツ連邦首相)
イタリア       ジュリアーノ・アマート(イタリア首相)
カナダ        ジャン・クレティエン(カナダ首相)
ロシア        ウラジーミル・プーチン(ロシア連邦大統領)
欧州連合      ロマーノ・プローディ(欧州委員会委員長)


沖縄は基地の問題とか色々抱えておりましたが、サミットの主な議題は「IT革命」でした。今では当たり前の「IT」ですが、2000年当時はまだ「IT」もまだまだ普及したばかりだったのですね。時代を感じます。ちなみに森元首相は「IT」を「いっと」と読み間違え失笑を買ったともいいます。今思うとそんなこともあったなあって。


それから、各国首脳に贈答用として琉球リカちゃんの別注モデルサミットリカちゃんがそれぞれに贈られたといいます。たいていは伝統玩具が贈られるようですね。日本であれば駒だとか、羽子板だとか、凧だとかそんなところでしょうか。しかし、そうではなく、リカちゃん人形のような商用玩具が贈られるのは異例の事だったといいます。




※ この記事はウィキペディアを参考にして書きました。

浦島太郎(桐谷健太さん)の名曲「海の声」。僕もカラオケでたびたび歌います。うまくは歌えないけれどwこの曲はauのCMソングにも使われました。この曲は作詞、篠原誠さん、作曲がBEGINの島袋優さんです。桐谷さん演じる浦島太郎の乙姫(乙ちゃん)への思いを歌った楽曲です。オドロキなのは、曲中で三線(沖縄の弦楽器)を弾いているのが桐谷さんご本人なのです。歌だけでなく三線も弾けるとはすごいなとおもいます。三線は弾くのが難しいようですよ。

この曲の作曲者の島袋優さんは沖縄のご出身。彼の作る曲は「涙そうそう」だとか「島人ぬ宝」とか沖縄を連想させる歌をいくつも作っております。

沖縄は僕は一度も訪れたことがありませんが、沖縄の歴史はある程度はわかっております。琉球王国と薩摩藩(および明治政府)との微妙な関係は前のエントリーで書かせてもらいましたし、ひめゆり部隊に代表されるように沖縄は悲惨な戦争の舞台でもありました。また米軍基地の問題も難しい問題です。

さて、沖縄といえば興味深い伝説があるのです。なんと源為朝(平安時代末期の武将で源頼朝・義経のおじにあたる)がやってきて、この沖縄の地で男の子をもうけ、その男の子が琉球王の始祖、舜天王(しゅんてんおう)となったというのです。

源為朝は、1139年に、源為義の八男としてうまれましたが、傍若無人な性格のため、13歳で京都から九州に追放され、その後九州を平定し「鎮西八郎為朝」となのりました。18歳で京都に戻ると、保元の乱(崇徳上皇と後白河法皇が戦った戦争)がおこり、崇徳上皇側につきました。崇徳上皇が後白河法皇にやぶれると九州にのがれます。しかし、捕らえられ二度と弓がひけないように腕の筋をきられて伊豆大島に流されます。そして1170年に討伐軍との戦いで自害というのが通説です。しかし、為朝は自害していなくて、海を渡って沖縄までやってきたというのです。

伊豆大島から沖縄へ向かう航海の途中で嵐に見舞われてしまい、舟人たちは慌てます。しかし、為朝は冷静に「運は天にあり、なんぞおそるるに足らずや」と戒めたといいます。そして、為朝一行は無事に沖縄(琉球)にたどり着きました。そこで、その地を運天の名前で呼ぶようになったといいます。ちなみに、沖縄に運天港という港がありますが、これは為朝のこの伝説が元になっているという説があります。

その後為朝は、現地の女性と結婚し、男の子をもうけました。その男の子こそ、琉球王の始祖
舜天王です。1650年に琉球最初の正史『中山世鑑』が完成しますが、その本に第一代の琉球王、舜天は源為朝の男の子だと書かれているそうです。

ちなみに江戸時代に滝沢馬琴が、源為朝を主人公にした『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)を書きました。この本にも為朝は伊豆大島で死んでおらず、琉球におよび、為朝の子が琉球王になったと書かれております。

今日は北海道の阿寒湖にまつわる悲しい曲をご紹介します。曲名は毬藻まりもの歌」。「毬藻の歌」は昭和28年に発表された曲で、安藤まり子さんという方がお歌いになっております。なにしろ古い歌なので、この曲を知っている方は60歳くらいの人でもそう多くなく(80歳以上のの方だったら大体ご存知かもしれない)、カラオケでこの曲をお歌いになるかたも年々減ってきております。メロディーの美しさといい、短いけれど洗練された歌詞といい、とっても良い歌なのに。僕はまだ40代ですが、この曲すきで度々カラオケで歌いますよ。DAMでこの曲をリクエストすると安藤まり子さんご本人の映像がでてきます。

芹洋子さんもカヴァーされ、阿寒湖の遊覧船にのると、芹洋子さんヴァージョンの「毬藻の歌」が流れるそうですが、オリジナルは安藤まり子さんです。以前にNHKの歌番組に安藤まり子さんがご出演され、80代とは思えない、すばらしい美声を聴かせてくださいました。

この「毬藻の歌」には阿寒湖の伝説が下敷きになっているといいます。なんでも、アイヌの長老の娘セトナが村の若者のマニペに恋をしたと。しかし、セトナには父親が決めた婚約者がいたのです。身分が違うということで、セトナとマニペの二人の恋はかなわなかったと。来世は一緒になろうと願い、セトナとマニペは阿寒湖に身を投げたといいます。そして二人の魂は、阿寒湖のマリモになったといいます。

ちなみに、最近になってこの伝説は作り話だという説も出てきました。あくまでもマリモ伝説は一人の日本人の創作で、実際にその筆者の手記もあるといわれております。

アイヌ民族にそのような悲しい伝説があったかどうかはわかりませんが、アイヌ民族が悲しい思いをしたのは事実です。アイヌ民族は、17世紀から19世紀において東北地方北部から北海道、サハリン、千島列島に及ぶ広い範囲に住んでおりました。それが江戸時代に、アイヌ民族は松前氏という大名からたびたび迫害を受けました。アイヌの人たちをだましたり、漁場や猟場も荒らしたりしたそうです。

1669年にシャクシャインというアイヌの指導者が立ち上がり、松前氏と戦いましたが、シャクシャインはあえなく討ち取られてしまうのです・・・

それ以降松前氏の支配はひどくなり、アイヌの人たちを安い賃金でこきつかいました。それで、たびあびアイヌの人たちは抵抗しましたが、いつも厳しくおさえられ、アイヌの土地もどんどん日本人の侵略をうけ、アイヌの人たちは隅に追いやられてしまったのです・・・

19世紀当初から20世紀後半まで日本の中央政権は、アイヌ民族に対し同化政策を押しつけたそうです。明治から第二次世界大戦敗戦前まで使用された国定教科書にはアイヌを「土人」と表し、アイヌの人たちは差別をされてきたのです。

ちなみに僕は阿寒湖どころか北海道には一度もいったことがありません。僕の親父が仕事でたびたび行っていたいたのですが。機会があれば阿寒湖に行ってみたいですね。実は僕は子供のころに「オホーツクに消ゆ」というゲームにはまり、子供のころから北海道に行きたいなって思いましたもの。「阿寒湖」もこのゲームに出てくるし、阿寒湖はマリモが有名だということもゲームで知りました。僕も父が北海道に出張に行くとき、マリモをねだり、おみやげにマリモを買ってきてもらいました。


また、阿寒湖では毎年夏になると「夏希灯なつきとう」という幻想的なイベントがあるそうですね。







(阿寒湖とマリモの動画)


(夏希灯のようすiv>


※ 参考サイト

https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/history.html


https://www.tsurugagroup.com/plans/natsukito/

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