history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

カテゴリ: 旧石器〜古墳

DSC_1273

(野尻湖)

今年の夏に野尻湖のじりこに行ってきました。野尻湖に行くのは本当にひさびさです。野尻湖と言えばナウマンゾウの骨が発掘はっくつされた事で知られております。ナウマンゾウの資料館もあります。以前に野尻湖に来たときは、訪れることができなかったので、今回訪れることができてうれしいです。<

資料館に入ると、ナウマンゾウとオオツノ鹿しかのはく製がお出迎でむかえです。

近くで見るとナウマンゾウもオオツノ鹿もでかいなって思いました。大昔の人たちは、こんな大きな動物とたたかったのかとおどろきました。いくら大勢の人間がチームプレーで戦っているとはいえ、こんなに大きな象が暴れたりしたら大変だろうなって。

6a36f7a7-s

(ナウマンゾウ)


e28634fd-s

(オオツノ鹿)

しかも、このような石器で戦ったというから危険だなあって思いました。ナウマンゾウとの戦いで亡くなった人もいるだろうなって思いました。昔はじゅうとかなかった時代ですからね。

55f87e0c-s

(石器)


(ナウマンゾウが戦っている様子)



資料館にはナウマンゾウの骨も展示されておりました。展示物を見ているうちに、象との戦いで亡くなった人間も気の毒だが、ナウマンゾウもオオツノ鹿もかわいそうだなって思わず思ってしまいました。

かといって、食べ物がとぼしい時代でしたから、ナウマンゾウでも食べなきゃ野尻人もえ死にしちゃうからなあ。

いつの時代もそうかもしれませんが、この時代は食うか食われるか弱肉強食の時代だったのですね。


5b8fab6a-s

(キバ)

8f1709ce-s

(全体の骨)

6ae01729-s

(頭がい骨)

f7d11cb6-s

(教科書でも有名な月と星。オオツノ鹿の角とナウマンゾウのキバが並んでいる)

以前、NHKで邪馬台国やまたいこくの特集をやっていました。

ジョークはさておき、邪馬台国のあった場所は台湾説たいわんせつだとかいろいろな説がありますが、畿内説きないせつおよび九州説の二つが有力でしょう。この論争は私が小学生のころからすでにありました。あれから2年いや20年以上った今でも決着がついていないようです。

さて、畿内説きないせつ根拠こんきょ銅鏡どうきょうです。正確に言えば三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょうと呼ばれています。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』に中国の皇帝こうていが邪馬台国に銅鏡をあげたと書いています。その銅鏡が畿内(関西)で大量に見つかったが、畿内説の有力な手がかりになっております。

一方の九州説きゅうしゅうせつの根拠の一つは吉野ヶ里遺跡よしのがりいせきでしょう。。1989年に九州の吉野ヶ里遺跡が発見されたときは、邪馬台国の位置論争はこれで決着がつくと当時中学生だった私は思ったものでした。個人的には九州説を支持しますが、九州説も決定打けっていだがないようでして・・・

しかし、『魏志倭人伝』に書いてある方角と距離きょりどおりに進むと、日本よりはるか南方の海の中になってしまいます。もっとも当時は正確な地図やGPSなんて無かった時代ですからねえ・・・

ともあれ、こういった論争が続いたほうがロマンがあっていいと思います

※ この記事はウィキペディアを参考にしました。

DSC_1195


BlogPaint


戦国武将の石田三成がじんを構えた古墳こふんがあるのをご存知でしょうか?

それは、埼玉県さいたまけんのさきたま古墳群こふんぐんひとつ、丸墓山古墳(まるはかやまこふん)です。さきたま古墳群にはいくつもの古墳がありますが、この古墳は他の古墳よりも高さがあります。

この古墳は豊臣秀吉の軍勢が忍城(おしじょう)にめこむ際に、豊臣秀吉の家臣の石田三成がこの丸墓山古墳に陣を構えていたのです。石田三成がここに陣を構えたのは、この古墳の頂上から忍城を望むことができたからです。

ちなみに豊臣勢の忍城攻めは、小説になりました(「『のぼうの城』。映画にもなった)




のぼうの城 通常版 [DVD]
野村萬斎
Happinet(SB)(D)
2013-05-02






DSC_1220

(忍城の写真。)


さらに、石田三成は難攻不落なんこうふらくの忍城を攻略するために、水攻め(※1)を行ったようです。忍城の周辺をつつみでぐるりと囲んだようです。その堤の長さは総延長28kmにもおよんだそうです。

堤が完成した後、利根川とねがわ荒川あらかわの水を堤に引き入れたのですが、城にはあまり水がたまらなかったようです。

その後、増水したため、堤がこわれてしまい石田の軍勢にもおぼれて亡くなった人も沢山でてきて、水攻めは失敗に終わったようです。



※1  川をせき止め、その水を敵の城の周囲に導入し て孤立こりつさせること。あるいは、敵の給水路をち、飲料水いんりょうすい欠乏けつぼうさせ苦しめること。.




(石田堤の動画)

*この記事は2014年5月18日に書いたものを加筆修正しました。

さきたま古墳群こふんぐん将軍山古墳しょうぐんやまこふんという古墳があります。古墳には埴輪はにわが置かれています。これは古墳にまつられている死者をなぐさめるためだともいわれております。埴輪というと、僕の世代だと「おーい!はに丸」を思い出しちゃいますw石室は、千葉県富津ふっつ市付近の海岸でとれた「房州石(ぼうしゅういし)」と呼ばれる石材が使用されています。この将軍山古墳は中に入ることができます。中には石室を再現した展示物(レプリカ)があります。

DSC_1203

(将軍山古墳)


DSC_1204

(古墳におかれている埴輪)

DSC_1206

(埴輪)


DSC_1209

(石室を再現したもの)

DSC_1207

(同じく石室を再現したもの)


DSC_1205

(房州石)







このページのトップヘ