history日誌

カテゴリ:欧米の歴史 > ヨーロッパの歴史

1 自分がターゲットにされてしまう
 魔女狩りでは、実際に拷問ごうもんを行った人間も悪いけれど、ごく普通の庶民たちがお互いに監視したり、密告するようになったことも、そもそもの問題でした。なぜ、人々はこんなことをするのでしょう。たとえば、いじめやパワハラが起こった場合、いじめやパワハラに合った人を見ている人は「その人を守りたい」という気持ちはあるにはあるのですね。

でも、下手にかばったりしたら、自分もそのいじめやパワハラの標的になりかねません。だから、人々は見て見ぬふりをしたり、最悪自分も、いじめのターゲットを攻撃する側にまわることもあるのです。それが自分の身を護る一番の手段になってしまうのです。

『ドラえもん』でジャイアンとスネ夫が二人でのび太をいじめますが、実はスネ夫はジャイアンの忠実な家来ではなく、腹の中ではバカにしているのですね。実際、スネ夫はジャイアンがいないときは陰口叩きまくりだし。それでも、スネ夫がのび太をジャイアンと一緒になっていじめるのは自分が標的になるのが怖いからですね。

一緒になってターゲットをいじめるのは本意ではないが、何回も攻撃を繰り返しているうちにそれが次第に快楽になってしまうのですね。

2 レッテルはり
 魔女狩りの最大の問題は、まったく魔女とは関係ない普通の人が、魔女のレッテルをはられ、多数リンチにあったり、処刑されてしまったことです。なぜ、こんなことがおこったのでしょう。これは人間の悲しい性が原因だと思われます。

魔女狩りに限らず、会社や学校、ネットの中などのコミュニティの中には潜在的に小さいな言い争いがありますよね。悪口の応酬おうしゅうみたいなものは、日常的とは言わなくても、起こったりします。しかし、それが繰り返されていく中で、一人の人間に悪評、魔女狩りであれば、「この人は魔女じゃないか」って評判が蓄積ちくせきされてしまいます。それが根も葉もないうわさであったり、誤解であっても、一度悪いレッテルが貼られるとそれを挽回ばんかいするのが大変なんです。

度、そういうレッテルがはられると、その人の行動すべてがマイナスに解釈されてしまうのですね。魔女狩りであれば魔女であると、会社であれば、「あいつは使えないヤツだ」と。一度Aさんが使えないやつだと思われると、たとえ上司のミスが原因であっても、上司はAさんのミスだと思いAさんを叱責しっせきをする。

『サザエさん』であれば、本当はタラちゃんがやったイタズラなのに、普段ふだんからワンパクのイメージがあるカツオが父さんに怒られるみたいなものでしょう。近くにいる人だからこそ疑いの目が向けられてしまうのです。

そうして、魔女狩りの悲劇ひげきは起こったし、近年でもネットの書き込みを真に受けた人間が無実の人をリンチしたり、自殺に追い込んだりする事例がおこっているのですね・・・

3 みんなのための正義
 魔女狩りは終焉しゅうえんしたものの、集団ヒステリーや集団リンチ、いじめはなくなっておりません。これは人間が集団をつくるという機能を人間が持っている以上、なくならない問題ともいえるし、課題ともいえます。

戦争だとか、疫病だとか、危機を感じる時に、人間は絆を強めようとします。そういうときは集団が個人よりも優先されます。ナチスドイツや、戦時中の日本もそうでしたし、文化大革命時代の中国、今日のコロナ騒動もそうでしょう。そうして集団の足を引っ張たり、ルールを破ろうとする人に対して攻撃をすることが、みんなのための正義だという考え方になりやすいのです。

時々、いじめを肯定するも意見も出てきますが、それは集団の秩序を守るためやむを得ないという認識なのでしょう。

『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、ゲン親子を攻撃することが、お国のためだとマジでおもっていたのですね。実際は、戦争を早く終わらせ、外国と仲良くしたほうがいいというゲンの父親の意見のほうが正しく、鮫島の言う通りの道を進んでいたら、間違いなく日本は、外国、たとえばソ連などの領地になっていましたね。もし、そうなったら戦争を反対したゲンの父が愛国者で、鮫島が売国奴でしたね。

自分たちの正義の行動と思っているものに対し、本当にそれは正義なのか?じぶんがやっていることは正義中毒ではなく、本当にみんなのためになっているのか?それをよくよく考えないと、人を傷つけたり、最悪人を死に追いやってしまうことも。

4 当事者の問題にしない
 魔女狩りによって魔女達は徹底的に弾圧されましたが、魔女が絶滅したわけじゃありません。以前、何の番組かは忘れたのですが、21世紀の今もスコットランドにいる魔女がテレビで取り上げられました。魔女と言っても、テレビに出てきた女性の見た目は童話にでてくるような魔女とは明らかに違います。どう見ても、普通のおばさんでした。

現代の魔女はハーブやパワーストーン、アクセサリーなどを売ったり、占いをして生計を立てているようです。

また、その魔女さんは「かつて魔女達は、産婆さんばもしたり、薬を売ったりと色々と人々に役立つ事をしてきたが、悪魔の使いという汚名おめいを着せられ、ヒドイ弾圧を受けてしまった」と残念そうに語っていました。

魔女たちは汚名を着せられ迫害されましたが、魔女たちはそれに抵抗する術もありませんでした。なにしろ、相手は強大な権力をもってたり、集団てまやって来ます。だから、怖くて抵抗もできない。抵抗できないから、相手はさらに図にのってエスカレートします。魔女のレッテルがはられた人物が一人処刑されると、また別のターゲットをみつけ迫害されます。そんなことが10年どころか200年以上続いたのだから恐ろしい。

「女王の教室」の鬼教師の「(人間は、人をいじめることに喜びを感じるから)大事なのは自分たちがそういういじめにあった時に、耐える力や解決する方法を身につける事なんです。」という台詞があります。要するに当事者同士でなんとかしろということ。僕は、これは半分は正しいが、半分は間違っていると思います。イジメがあっても、「仕方がない」と放置するなんて。ましてや耐えるなんて逆効果です。魔女狩りは為政者も周りの人間もそんな態度だったから200年以上続いたのですよ。

「魔女狩り その4」の記事でも取り上げましたが、バンブルクというドイツの街でゲオルク2世という司教が猛烈な魔女狩りを行っていました。それでバンブルクの住民は周辺の都市の有力者に助けを求めに行ったのですね。幸い周辺都市の有力者たちは、バンブルクの住民を助けてくれて、それがゲオルク2世の失脚にもつながりました。もし有力者たちが「耐える力を身に着けたり、自分で解決しろ」なんて言ってたら、バンブルクの街でさらに犠牲者は増えただろうし、猛烈な魔女狩りもゲオルク2世が死ぬまで続いたでしょうね。

僕の学生時代の恩師は、イジメにたいして非常に厳しい態度で臨みました。僕もイジメにあいましたが、自殺せずにすんだのは先生のお陰です。

イジメとか集団ヒステリーは本人もしっかりしなきゃいけないが、当事者同士で解決するのは非常に困難です。結局、魔女狩りも当事者同士で解決できず、外的要因や魔女狩りの第三者的存在が声をあげたりして、なんとか収まったのですね。

※ 参考
NHK BS 『ダークサイト・ミステリー』

前回までの記事で魔女狩りのひどさを書かせていただきましたが、科学や学問の発達に比例し、魔女狩りも次第に落ち着いていきます。今日はそのあたりを書かせていただきます。まずは魔女狩りに関係する科学者のお話をします。


1 魔女狩りと科学者

  近代天文学の祖ケプラー(1571年12月27日 - 1630年11月15日)はドイツの有名な科学者で「ケプラーの法則」を発見しました。ケプラーの母親は魔女と疑われ、牢屋に入れられたそうです。ケプラーの母親は薬草を売っていたらしく、それで魔女だと疑われたとか。ヒドイ話です。

ケプラーは母親のぬれぎぬを晴らすべく頑張ったみたいです。息子の努力も実りケプラーの母親は無罪になりました。親孝行ですねえ。まるで僕みたいwww自分で言うなってかw

フランシス・ベーコン(1561年1月22日 - 1626年4月9日)はイギリスの哲学者です。彼はシェイクスピアと同世代に生きた人物で、ベーコンとシェイクスピアは同一人物だという説まであるみたいです。彼は哲学者なのに魔女狩りと拷問ごうもんを容認していました・・・

「(魔女達に)苦痛を与えることによって自然の本質が理解できる」と言ったそうです。おっかないですねえ・・・学校や職場のイジメを「精神をきたえるためにも必要だ」と言っているようなものです。また、ベーコンは魔女を取り締まる法律の立案に協力したようです・・・

アイザック・ニュートン(1642年12月25日 - 1727年3月20日)は木から落ちるリンゴを見て、「勿体ねえ!!俺が食べてやる」と言った人物。
「万有引力の法則」を発見した人です。地球には引力があるという事を発見したのです。

ニュートンも魔女の存在を信じていたそうです。それと、ニュートンは錬金術れんきんじゅつにも熱心に取り組んでいたそうです。ちなみに、錬金術とは魔法で金を作ろうとしたのですが、それは失敗に終わります。しかし、錬金術は失敗したものの、金を作り出すための実験は、科学の発展にもつながったのです。

このころは科学者といえど、魔女の存在を信じる人が少なくなかったのですね。

2 下火になる魔女狩り
 17世紀(1601〜1700年)になると魔女狩りも下火になってきます。魔女狩りが下火になった理由は、科学の発展、ルネ・デカルト(※1)によって物事を懐疑的にとらえる思想が広まったこと、内部告発者がでたこと(※2)、裁判のやり方が変わった(魔女裁判で極刑がなくなった)だとか色々な説がありますが、はっきりとした理由はわかりません。

はっきりした理由がわからないものの、魔女狩りを禁止する法律が作られるようになったことも無視できないのではないかと。もともと人間には人をいじめたり、迫害する要求が潜在意識にあるようです。『女王の教室』でもオニ教師が「人間が生きている限り、いじめは永遠に存在するの。なぜなら、人間は弱いものをいじめるのに、喜びを見出す動物だからです。」といっていましたっけ。

魔女狩りというのは、当時の為政者や司教たちが、庶民に「魔女をいじめてもいいよ」ってお墨付きを与えたようなものです。だから、庶民たちはここぞとばかりに魔女狩りをしたのでしょうね。それが、お上から魔女狩りを禁止されたから、庶民たちも「魔女をいじめて罰せられるのでは合わない」って徐々にやめるようになったとも考えられます。

近年、学校でいじめにあった子の家族がイジメた子供の親に対して裁判を起こし、慰謝料を請求したという事例もありますし、裁判まで行かなくても、いじめた子の保護者に内容証明を送るとだいたい、それでいじめが収束するという話も聞きます。弁護士から書面が届けば、いじめっ子の親も子どもにやめるよう注意するからでしょう。そら、我が子のいじめが原因で罰せられたり、賠償金を払う羽目になったら合いませんよね。


ともあれ、ヨーロッパ社会において魔女狩りは18世紀(1701〜1800年)のなかごろになくなりました。

3 アメリカの魔女狩り
 ところが、魔女狩りは意外な場所で息を吹き返します。新天地アメリカ。それはマサチューセッツ州のセイラムという街で起こりました。ヨーロッパからの移民が開拓した街の一つです。それは1692年の出来事です。ある日、10代の少年や20代の青年数名が異常行動をしだしたのです。なぜ、そんな異常行動をとったのかを彼らにきいてみると、その中の一人が「魔女が自分たちに呪いをかけている」といったのです。

当時アメリカの各地で、先住民(インディアンの襲撃にあったり、伝染病が流行ったり、農作物の不作など、人々の間で不安が高まっていったのです。そうしてセイラムで、自分たちがこんな大変な思いをするのは魔女の仕業に違いないと思うようになったのです。こうしてセイラムで魔女狩りが始まりました。それは一年ほど続いたといいます。人口およそ1700人のうち、逮捕者は約200人、処刑者は19人もいたといいます・・・

魔女狩りを鎮めるような権力者が不在だったこともあり、皆が皆「あいつが魔女じゃないか」って疑うようになり、隣人同士の殺し合いもあったそうです。


4 魔女狩りはなくなったものの・・・ 


 魔女狩りそのものは無くなりましたが、魔女狩り的な集団ヒステリーがなくなったわけじゃありません。たとえば、ヒトラーやナチスに熱狂したドイツ国民もそうだし、戦前の日本もそうでした。『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、戦争に反対するゲン親子を非国民といじめる描写がありますが、実際そうしたヒコクミン狩りは戦時中おこっていたのです。それから戦後も、中国で文化大革命というものがありましたが、それはひどいものでした・・・紅衛兵とよばれる若者たちが、大人たちを集団リンチしたり、お寺を破壊したりしました。文化大革命に関しては、陳凱歌監督の『さらば、わが愛ー覇王別姫』にも描かれております。

最近のヨーロッパでも起こっているのです。SNSで「私たちの子供を誘拐して臓器売買をする奴があらわれた」というデマが書かれ、ロマとよばれる人たちが「誘拐犯」のレッテルをはられ、(デマを信じた)心無い人たちに襲撃された事件が起こっています・・・

ヨーロッパだけでなく、2018年のインドでも見慣れぬ車を住民たちが襲撃され、車の中に乗っていた人がころされてしまった事件もおこっています。これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込み。

メキシコでも2018年に一人の人間が集団リンチにあったあげく、焼死したという事件が起こりましたが、これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込みが原因。

日本では、コロナの影響で自粛警察なんて出てきました。自粛期間中に営業している店に張り紙をはって嫌がらせをしたり、東京から地方に来た車のナンバーが壊されたりという事件も起こっております。また、執拗なSNSによる批判に心を痛め自殺をした方もいらっしゃいます・・・


※ 1 フランスの哲学者ルネ・デカルトの一番有名な言葉は「我思う故に我在り」。すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができないということ。


※2 たとえば、ドイツのイエスズ会士フリードリヒ・シュペー。彼のことは前回の記事でも触れさせていただきました。→http://ehatov1896rekishi.diary.to/archives/2489208.html

参考文献
ウィキペディア

歴史能力検定世界史2級の問題用紙


週刊歴史のミステリー No.2 (2008/2/12号)
(株)デアゴスティーニ・ジャパン
2008







魔女狩り (岩波新書)
森島 恒雄
岩波書店
1970-06-20






〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻
中沢 啓治
汐文社
1993-04-01

1 権力者や男性も魔女狩りのターゲットに
 魔女狩りといえば、何の後ろ盾のない庶民それも女性ばかりがターゲットと思われがちですが、実は男性、権力者もターゲットになりました。

ドイツの南部のバンベルクでその悲劇は起こりました。1600年代前半、この街でも魔女狩りの嵐が吹き荒れました。街のあらゆる階級、約900人が殺されました。当時のバンベルクはカトリックの司教が支配する広大な領地の一部でした。ですからバンベルクはカトリックの司教に支配されていたのですね。歴代の司教は魔女に対して厳しい態度をとっていたようですが、特に厳しかったのはヨーハン・ゲオルク2世。彼は魔女司教とよばれ恐れられておりました。ゲオルク2世は、当時のヨーロッパにおける冷害や疫病、戦争などの社会不安をきっかけに猛烈な魔女狩りをしました。そして、魔女の塔とよばれる建物で何百人も罪のない人たちを処刑をしたそうです。なかには子供もいたそうです・・・


そして、1627年に悲劇がおこりました。それは些細なことがきっかけで起こった事件です。市議会議員の息子、ハンス・モアハウプト(14歳)が学校で『ファウスト博士』の本を読んでいました。この本は悪魔に魂を売った男の物語です。すると、学校の先生がハンスから本を取り上げ、「この本は誰から受け取った?」と詰問をされました。するとハンス少年は「この本は、うちのメイドがくれたんだ」と。なんとハンスの家で働いていたメイドが逮捕されてしまうのです。

そのメイドは拷問を受けます。審問官から「お前の仲間の名前をいえ」といわれます。苦しい拷問を受けたそのメイドは自分の知人の名前をついつい言ってしまいます。ハンス少年やその母親も逮捕されてしまいます。これは、今まで魔女狩りといえば貧しい人がメインだったのが、特権階級にもその魔の手が伸びたことの一つの現れです。

ハンス少年やその母親の口から知人の名がでては、そのハンスの知人が逮捕され、またその知人が知っている人が、また自分の知り合いの名をあげ、いわゆる告発の連鎖が続いたのです。こうして神学者や商人、果ては政治家の名前まで出てきて、彼らも例外なく逮捕されたのです。


2 魔女狩りに抵抗した市長
こうした理不尽な魔女狩りに一人の男が「待った!」(『逆転裁判』の成歩堂くんかw)と声をあげました。バンベルク市長のヨハネス・ユニウス

しかし、いくら市長が抵抗しようとも、その上に立つ司教ヨーハン・ゲオルク2世が魔女狩りを推し進める以上、どうすることもできませんでした。そして、そのユニウス市長も捕らえられ、厳しい拷問を受けたといいます。ユニウス市長にも「仲間の魔女の名前をあげろ」といわれます。そして、ユニウス市長も厳しい拷問のつらさから自分の知人の名前を挙げてしまいます。その数35名。その中には、引退したバンベルクの元市長、バンベルクの司教領宰相の名前も入っていました。

牢獄の中でユニウス市長は愛娘に手紙を書きました。その手紙の内容は娘への思いと、自分のしてしまったことの後悔と懺悔が書かれておりました。

「いとしい娘よ、私は厳しい拷問、激しい苦痛から逃れるために自白をしてしまった。はじめに『サバトで誰を目撃したのか』と聞かれたとき、私は『知らない人ばかりでした』と答えた。すると次は『市場の通りから街の全部の通りを引きずり回せ』と命じられた。通りを引きずられながら、私はそこの家に住む人々の名前を次々に言わせた。それが魔女の名前を自白することになったのだ」と。

このように市長までが拷問に合ったのは、バンベルクの司教領には議会もなければ、魔女狩りを止めようと断固とした措置を実行できる有力貴族もいなかったからです。普通、大規模な領地には、こうした勢力がいるのですが、バンベルクには存在しなかったのです。そのため政治家でさえ、司教に逆らえなかったのです。

この時代はルネサンスを過ぎ、科学的なものの見方も広まっているのですが、地域によっては旧式なものの考え方がはびこっていたのです。

ところが1631年状況が一変します。司教の大弾圧に苦しんだバンベルク市民の一部が周辺の大都市の権力者に助けを求めます。神聖ローマ帝国の皇帝がいるウィーン、帝国の最高裁判所のあるシュパイヤーなど。これらの大都市には大学などの学術機関もあり、魔女狩りを理性的に否定する知識階級が多かったのです。そして、ゲオルク二世に不当な魔女裁判の禁止する命令が出されました。さらに、当時のヨーロッパは内戦状態だったので、そのどさくさからゲオルク2世が逃亡したのです。非科学的な指導者がいなくなったことで、民衆は魔女狩りをやめたといいます。

理不尽なパワハラに泣き寝入りをせずに、お偉いさんの不正を訴え続けた民衆の勝利でした。




3 魔女狩りを批判する人々
 このようにヨーロッパで吹き荒れた魔女狩りの嵐を黙って見過ごす人ばかりではありませんでした。魔女狩りを公然と批判する人々も出てきました。

たとえば、牧師のベッカー。彼は魔女狩りを批判したが、保守的な立場の人たちから非難され、牧師の仕事をやめさせられてしまいます。ベッカーは当たり前のことを言ったのにひどい話ですね。

ドイツのイエスズ会士フリードリヒ・シュペー『検察官への警告』という本を著しました。この本は実名で発表すると魔女裁判にかけられるので、匿名で発表されました。シュペーは、処刑直前の人々の告白を聞く聴罪司祭でした。

200人以上の悲痛な叫びを聴いているうちに、シュペーは良心の呵責にせめられたのです。シュペーも初めは魔女憎しで自らの業務を全うしてきたのですが、それが変わったのですね。それで、魔女狩りをやめさせようとこの本を書いたのです。、「慣例で私用されている拷問を極めてむごいもので、限界をはるかに超えている」と述べました。また、噂にもとづく告発は無効だともいっています。

シュペーの提言は見事にスルーされました。

が、シュペーの告発は決して無駄にはなりませんでした。やがて、魔女狩りの終焉へ向かっていくのですが、それは次回の記事で書きます。

※ 参考

NHK bsプレミアム「ダークサイド・ミステリー」




前回の記事で魔女狩りで理不尽ともいえる裁きについて書かせていただきました。残酷な裁判や処罰が行われる際、そのバイブルになった一冊の本がありました。その本こそ『魔女の槌』です。この本は一人の聖職者による思い込みから書かれたものです。今日はその『魔女の槌』の話を中心にして魔女裁判のひどさを取り上げます。時代は15世紀のおわり、1480年代にさかのぼります。まだ魔女狩りが盛んになる前の時代です。

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