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カテゴリ:欧米の歴史 > ヨーロッパの歴史

今でこそ手洗いが感染予防の基本だといわれていますが、一昔前は手洗いの重要性が理解されないどころか、バカにされたといいます。手には小さな微生物が付着しているから手洗いをすることが大事だとわかったのは17世紀ごろ。

オランダの人文学者のレーウェンフックら科学者たちが当時発明さればかリの顕微鏡をつかって、手には微生物やらバイ菌がいっぱいいることを突き止めたのです。そこで肉眼では見えない微生物が原因じゃないかといわれるようになりました。しかし、当時の科学の主流は悪い空気が人間を病気にすると信じられておりました。それはなんと19世紀まで病気は悪い空気が原因だと信じられていたのです。

19世紀オーストリアウィーンにて。ウィーン大学病院の産婦人科の医師イグナック・ゼンメルワイス。当時のウィーンでは 産褥熱さんちょくねつという病気で妊婦たちは苦しんでいたのです。一か月で208人中36人がこの病気で亡くなったといいます。ゼンメルワイスは患者のデータを診て奇妙なことに気づきました。

ウィーン大学病院にはふたつの産科があり、第一産科には医師や医学生が、第二産科には助産婦が働いていたのです。このうち、第一産科のほうが産褥熱さんちょくねつにかかる人がはるかに多かったのです。なぜこのような結果になったのか。ゼンメルワイスは二つの第一産科と第二産科の気温や温度、食べ物や飲み物まで比較したといいます。しかし、そこには大きな違いはありません。それでゼンメルワイスは第一産科の医師たちの行動と、第二産科の助産婦たちの行動を観察しました。すると決定的な違いがあることが分かったのです。

第一産科の医師たちだけが死亡した患者を解剖していました。医師たちが解剖をする際に死体についている「死体粒子」という物質が彼らの手に付着したのではないか。そして手についた死体粒子が妊婦を診察する際に、彼女たちの産道に付着して病気を起こすのではないかと。

この死体粒子を落とすには手洗いをするとよいと気づいたのです。ゼンメルワイスは、医師たちに手を洗うことはもちろん、医療器具を塩素で洗ったり、爪までも入念にブラシで洗うように指導したといいます。すると第一産科における死亡率が驚くほど下がったのです。

そしてゼンメルワイスは「 産褥熱さんちょくねつの原因と概念およびその予防法」という論文を1861年に発表しました。

産褥熱さんちょくねつは悪い空気からくるものではない。感染で起こるのだ。したがって予防可能な病気であり、この病気が蔓延する積金は予防に努めようとしない者にある」「私たち医師が数世紀にわたり墓場に贈ってしまった犠牲者の数は神のみがご存知だ。こうした認識は医者にとってつらくても秘密にすることは絶対にできない」と。


ところが、ゼンメルワイスの主張にたいし、医学界の権威たちは激怒。なぜ医学界の権威たちが怒ったかというと、患者の死が医者のミスによるものというゼンメルワイスの主張は受け入れがたいものだったのです。また、手洗いが病気をふせぐとか微生物をなくすという発想が当時の医師の権威にはなかったのでしょう。またゼンメルワイスのこだわりの強い性格も災いし、当時の医学界の人たちに受け入れてもらえなかったのでしょう。

こうしてゼンメルワイスの主張は否定されたのです。その後、ゼンメルワイスは精神を病み1865年、46歳で亡くなってしまいます。科学の世界や医学界にも派閥争いみたいなものがあったのですね・・・なんか今の日〇医〇会や東〇医〇会とかととダブるな・・・

ところが1876年、ドイツの医師ロベルト・コッホがコッホの三原則をうちだしたのです。

  • 病気にかかった動物から原因から可能性がある細菌を見つけ出す。


  • 最近を取り出し培養


  • 培養した細菌を健康な動物に接種。同じ症状が現れ場、病気の原因は最近


コッホの三原則により、細菌が悪さをすることが判明。そしてゼンメルワイスが主張した手洗いの重要性も科学的に証明されたのです。

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本題に入る前にの絵をごらんください。なんのコスプレでしょうw?ハロウィンではありません。これは中世のヨーロッパでペストが流行ったときに当時の医療従事者というか医者がこのような衣装をしていたのですね。最近、テレビで医療従事者という言葉ばかり聞いていたので、つい医療従事者って言葉が出てきますw

当時の医者が鳥のようなマスクをつけていたのです。それはマスクのくちばしのところに汚染された空気を浄化するための薬が入っていたのですね。そのマスクの眼の部分にはガラスがはられております。これは悪い空気をふせぐため。当時のヨーロッパでは感染症は悪い空気が引き起こすと考えられていたのです。

現代ではペストの原因はペスト菌だとわかっていますが、当時の人たちは微生物や菌の存在を知りませんでした。そのペストの毒の原因は神の罰だと人々は考えました。

神の罰ということから、己の肉体をムチで痛めつけ、ひたすら神のの許しを求めようとした人間まで現れたのです。そうして個人から次第に団体になり、苦行団は100人ほど集まっては、都市や農村を移動し上半身裸になって、教会の広場に集まったといいます。そこで彼らは自身のムチで売って血を流し、神への謝罪を繰り返したといいます。

ペストの原因は神の罰ではなく、ペスト菌が病原体です。黒死病ともいわれております。ペスト菌の発生源はネズミです。ドラえもんがネズミが嫌いなのは一度ペストにかかったから?うそうそ、そんなことありませんw

もっといえばペスト菌はネズミについているノミから人間に感染するのです。ペスト菌をもっているネズミの血をノミが吸い、そのノミが感染します。さらにそのノミが人間にまとわりついて、人間はペストに感染してしまうのです。一人が感染すると、人から人へと飛沫感染ひまつかんせん、つまり人が話をしたり、セキをしたりして、感染するのですね。そこのところはコロナとおんなじですね。

ペストは症状により何種類かあるようですが、一般的な症状は2〜6日の潜伏期間の後発症するそうです。発熱や吐き気、頭痛、めまい、ゲリ、リンパ節が大きくはれ炎症を起こし激しく痛むなど。一般に死亡は発症後から3〜5日、ひどい時は数時間から一日で死亡するというから恐ろしい。

ペストは中央アジアから広がり、1346年から52年まで流行し、死者が5000万人もいたといいます。墓での埋葬が追い付かず死体がそのまま捨てられるありさまだったそうです。それが雨が降るともっとひどいことになります。ペストで死んだ死体の山に雨水がしみ、それが地表へしみます。それが地下水や川、井戸水に流れたら、その水を飲んだ者がやはりペストにかかってしまうのです。昔は抗生物質もなかったし、衛生観念もなかったから、余計ひどいことになったそうです。

ペスト菌は比較的熱に弱かったそうです。その適性のためかアフリカのサハラ砂漠より南の地方が直接ペストが侵入しなかったのです。一方でコロナはサハラ砂漠より南でも広まっているところをみると、コロナは熱にも強そうです。そういう意味ではコロナはペストよりやっかいかもしれません。

ペストはその恐ろしい症状だけでなく、人間を不安と恐怖のどん底に陥れました。そして、それから逃れるために行われたのがうさ晴らし、逃亡、他者への迫害です。

どんちゃん騒ぎや酒を食らったりして現実逃避をしたり、他の都市に逃亡したり。

一部の富裕層は郊外へ逃げ、今でいうステイホームをしたそうです。その中でも作家のボッカチオは『デカメロン』という著作からこのようなことを書いております。初めに言っておきますが、でかいメロンのことではありませんからw

「この疫病がひどい有様になったのは火との接触によって病人から健康な人へと感染していったからです。」「病人を時々訪ねるだけでも感染してしまい」「衣服をはじめ病人が触ったりつかったしたものは何でもひとたび触るとたちまち感染してしまうのです」


そして、黒死病が流行って弱いものがどんどん迫害されるようになります。その標的になったのがユダヤ人。「ユダヤ人が井戸や泉に毒物を入れ、ペストの原因となる瘴気しょうきを発生させた」と。まったくの濡れ衣ですが、当時のヨーロッパ人はペストはユダヤ人の陰謀だと信じていたのです。1348年3月スペインのバルセロナでペストが大流行すると、ユダヤ人が疑われ、大勢殺されたといいます。

そうやってスペインからスイスやフランスへと広まっていくとさらにユダヤ人に対するまなざしは厳しくなります。ひどかったのが1349年2月、フランス北東部のストラスブールで起きた悲劇です。この街ではまだペストがひろまっていないに被害を未然に防ごうと約900人のユダヤ人が共同墓地に掘った大穴で焼き殺されたといいます。

その後もユダヤ人迫害はヨーロッパ中で広がり、一万人以上が犠牲になったといいます。ユダヤ人大量殺害というとヒトラーを連想しますが、すでにこの時代から始まっていたのですね・・・・また、ユダヤ人だけでなくロマやハンセン病の人までも迫害を受けたといいます。

恐怖の原因を自分たちと異なるものに原因を求めて、恐怖のはけ口にしていたのですね。デマを信じて、これほどの被害が起こるというのは現代でもないとは言えないのです。

情報が発達した現代においてもありえるのです。実際SNSでもデマの書き込みが随分ありましたし、自粛警察と呼ばれる人たちが、非常事態宣言のさなか営業中のお店に張り紙を貼ったり、嫌がらせ電話をしたとか。大量の情報があふれるからこそかって混乱が生じるという事があるのです。それを「インフォデミック」というそうです。

おしまいに、ノストラダムスのお話をします。ノストラダムスは予言者として有名ですが、本職は医師だったのです。ノストラダムスはどうやってペストに取り組んだのでしょう。

ノストラダムスは過去の経験から学んだペスト駆逐法を次から次へと実行していきました。死者を埋葬したあと、石灰石で覆うように命じ、道を洗浄し、ネズミを集めて焼き捨てたりしました。残った人々には、手や顔を洗うようにすすめました。患者に対しては、風通しのよいベッドに寝かせ、またハーブを調合した薬を与えたりしました。こうしたノストラダムスの努力も実り、ノストラダムスがいた街はペストが収まったといいます。ノストラダムスは、ペスト治療の功労者としてフランス医療史に名を残したのです。

※ 参考文献
予言者 (Truth In Fantasy)
第666部隊
新紀元社
1998-10-01



ペストの歴史
宮崎 揚弘
山川出版社
2015-05-22

新年あけましておめでとうございます。今年もよいお年になりますように。コロナで今年も大変なことになりそうで、新年早々非常事態宣言がでるんじゃないかといわれております。きょうは人類と疫病の歴史を紐解いていきます。まずは今年の干支である牛さんの動画をみてから、本題に入りましょう。牛だけにうっししと笑いながらいきましょうw


(ちょっと見にくくてごめんなさい。私が撮影した動画ですが、あんまり撮るのがうまくなくて・・)



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1 自分がターゲットにされてしまう
 魔女狩りでは、実際に拷問ごうもんを行った人間も悪いけれど、ごく普通の庶民たちがお互いに監視したり、密告するようになったことも、そもそもの問題でした。なぜ、人々はこんなことをするのでしょう。たとえば、いじめやパワハラが起こった場合、いじめやパワハラに合った人を見ている人は「その人を守りたい」という気持ちはあるにはあるのですね。

でも、下手にかばったりしたら、自分もそのいじめやパワハラの標的になりかねません。だから、人々は見て見ぬふりをしたり、最悪自分も、いじめのターゲットを攻撃する側にまわることもあるのです。それが自分の身を護る一番の手段になってしまうのです。

『ドラえもん』でジャイアンとスネ夫が二人でのび太をいじめますが、実はスネ夫はジャイアンの忠実な家来ではなく、腹の中ではバカにしているのですね。実際、スネ夫はジャイアンがいないときは陰口叩きまくりだし。それでも、スネ夫がのび太をジャイアンと一緒になっていじめるのは自分が標的になるのが怖いからですね。

一緒になってターゲットをいじめるのは本意ではないが、何回も攻撃を繰り返しているうちにそれが次第に快楽になってしまうのですね。

2 レッテルはり
 魔女狩りの最大の問題は、まったく魔女とは関係ない普通の人が、魔女のレッテルをはられ、多数リンチにあったり、処刑されてしまったことです。なぜ、こんなことがおこったのでしょう。これは人間の悲しい性が原因だと思われます。

魔女狩りに限らず、会社や学校、ネットの中などのコミュニティの中には潜在的に小さいな言い争いがありますよね。悪口の応酬おうしゅうみたいなものは、日常的とは言わなくても、起こったりします。しかし、それが繰り返されていく中で、一人の人間に悪評、魔女狩りであれば、「この人は魔女じゃないか」って評判が蓄積ちくせきされてしまいます。それが根も葉もないうわさであったり、誤解であっても、一度悪いレッテルが貼られるとそれを挽回ばんかいするのが大変なんです。

度、そういうレッテルがはられると、その人の行動すべてがマイナスに解釈されてしまうのですね。魔女狩りであれば魔女であると、会社であれば、「あいつは使えないヤツだ」と。一度Aさんが使えないやつだと思われると、たとえ上司のミスが原因であっても、上司はAさんのミスだと思いAさんを叱責しっせきをする。

『サザエさん』であれば、本当はタラちゃんがやったイタズラなのに、普段ふだんからワンパクのイメージがあるカツオが父さんに怒られるみたいなものでしょう。近くにいる人だからこそ疑いの目が向けられてしまうのです。

そうして、魔女狩りの悲劇ひげきは起こったし、近年でもネットの書き込みを真に受けた人間が無実の人をリンチしたり、自殺に追い込んだりする事例がおこっているのですね・・・

3 みんなのための正義
 魔女狩りは終焉しゅうえんしたものの、集団ヒステリーや集団リンチ、いじめはなくなっておりません。これは人間が集団をつくるという機能を人間が持っている以上、なくならない問題ともいえるし、課題ともいえます。

戦争だとか、疫病だとか、危機を感じる時に、人間は絆を強めようとします。そういうときは集団が個人よりも優先されます。ナチスドイツや、戦時中の日本もそうでしたし、文化大革命時代の中国、今日のコロナ騒動もそうでしょう。そうして集団の足を引っ張たり、ルールを破ろうとする人に対して攻撃をすることが、みんなのための正義だという考え方になりやすいのです。

時々、いじめを肯定するも意見も出てきますが、それは集団の秩序を守るためやむを得ないという認識なのでしょう。

『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、ゲン親子を攻撃することが、お国のためだとマジでおもっていたのですね。実際は、戦争を早く終わらせ、外国と仲良くしたほうがいいというゲンの父親の意見のほうが正しく、鮫島の言う通りの道を進んでいたら、間違いなく日本は、外国、たとえばソ連が、、どさくさに紛れて日本を占領して、日本をソ連の衛星国にしてたでしょう。さらに、一億総玉砕なんて本当にやっていたら、日本人は日本からいなくなり、かわりに朝鮮人や中国人を日本に大量移住させていたでしょうね。それこそネ○○ヨには悪夢でしかないことが現実になっていたでしょう。

自分たちの正義の行動と思っているものに対し、本当にそれは正義なのか?じぶんがやっていることは正義中毒ではなく、本当にみんなのためになっているのか?それをよくよく考えないと、人を傷つけたり、人を死に追いやってしまうこともあるのですね。

4 当事者の問題にしない
 魔女狩りによって魔女達は徹底的に弾圧されましたが、魔女が絶滅したわけじゃありません。以前、何の番組かは忘れたのですが、21世紀の今もスコットランドにいる魔女がテレビで取り上げられました。魔女と言っても、テレビに出てきた女性の見た目は童話にでてくるような魔女とは明らかに違います。どう見ても、普通のおばさんでした。

現代の魔女はハーブやパワーストーン、アクセサリーなどを売ったり、占いをして生計を立てているようです。

また、その魔女さんは「かつて魔女達は、産婆さんばもしたり、薬を売ったりと色々と人々に役立つ事をしてきたが、悪魔の使いという汚名おめいを着せられ、ヒドイ弾圧を受けてしまった」と残念そうに語っていました。

魔女たちは汚名を着せられ迫害されましたが、魔女たちはそれに抵抗する術もありませんでした。なにしろ、相手は強大な権力をもってたり、集団てまやって来ます。だから、怖くて抵抗もできない。抵抗できないから、相手はさらに図にのってエスカレートします。魔女のレッテルがはられた人物が一人処刑されると、また別のターゲットをみつけ迫害されます。そんなことが10年どころか200年以上続いたのだから恐ろしい。

「女王の教室」の鬼教師の「(人間は、人をいじめることに喜びを感じるから)大事なのは自分たちがそういういじめにあった時に、耐える力や解決する方法を身につける事なんです。」という台詞があります。要するに当事者同士でなんとかしろということ。僕は、これは半分は正しいが、半分は間違っていると思います。イジメがあっても、「仕方がない」と放置するなんて。ましてや耐えるなんて逆効果です。魔女狩りは為政者も周りの人間もそんな態度だったから200年以上続いたのですよ。

「魔女狩り その4」の記事でも取り上げましたが、バンブルクというドイツの街でゲオルク2世という司教が猛烈な魔女狩りを行っていました。それでバンブルクの住民は周辺の都市の有力者に助けを求めに行ったのですね。幸い周辺都市の有力者たちは、バンブルクの住民を助けてくれて、それがゲオルク2世の失脚にもつながりました。もし有力者たちが「耐える力を身に着けたり、自分で解決しろ」なんて言ってたら、バンブルクの街でさらに犠牲者は増えただろうし、猛烈な魔女狩りもゲオルク2世が死ぬまで続いたでしょうね。


イジメとか集団ヒステリーは本人もしっかりしなきゃいけないが、当事者同士で解決するのは非常に困難です。結局、魔女狩りも当事者同士で解決できず、外的要因や魔女狩りの第三者的存在が声をあげたりして、なんとか収まったのですね。

※ 参考
NHK BS 『ダークサイト・ミステリー』

前回までの記事で魔女狩りのひどさを書かせていただきましたが、科学や学問の発達に比例し、魔女狩りも次第に落ち着いていきます。今日はそのあたりを書かせていただきます。まずは魔女狩りに関係する科学者のお話をします。


1 魔女狩りと科学者

  近代天文学の祖ケプラー(1571年12月27日 - 1630年11月15日)はドイツの有名な科学者で「ケプラーの法則」を発見しました。ケプラーの母親は魔女と疑われ、牢屋に入れられたそうです。ケプラーの母親は薬草を売っていたらしく、それで魔女だと疑われたとか。ヒドイ話です。

ケプラーは母親のぬれぎぬを晴らすべく頑張ったみたいです。息子の努力も実りケプラーの母親は無罪になりました。親孝行ですねえ。まるで僕みたいwww自分で言うなってかw

フランシス・ベーコン(1561年1月22日 - 1626年4月9日)はイギリスの哲学者です。彼はシェイクスピアと同世代に生きた人物で、ベーコンとシェイクスピアは同一人物だという説まであるみたいです。彼は哲学者なのに魔女狩りと拷問ごうもんを容認していました・・・

「(魔女達に)苦痛を与えることによって自然の本質が理解できる」と言ったそうです。おっかないですねえ・・・学校や職場のイジメを「精神をきたえるためにも必要だ」と言っているようなものです。また、ベーコンは魔女を取り締まる法律の立案に協力したようです・・・

アイザック・ニュートン(1642年12月25日 - 1727年3月20日)は木から落ちるリンゴを見て、「勿体ねえ!!俺が食べてやる」と言った人物。
「万有引力の法則」を発見した人です。地球には引力があるという事を発見したのです。

ニュートンも魔女の存在を信じていたそうです。それと、ニュートンは錬金術れんきんじゅつにも熱心に取り組んでいたそうです。ちなみに、錬金術とは魔法で金を作ろうとしたのですが、それは失敗に終わります。しかし、錬金術は失敗したものの、金を作り出すための実験は、科学の発展にもつながったのです。

このころは科学者といえど、魔女の存在を信じる人が少なくなかったのですね。

2 下火になる魔女狩り
 17世紀(1601〜1700年)になると魔女狩りも下火になってきます。魔女狩りが下火になった理由は、科学の発展、ルネ・デカルト(※1)によって物事を懐疑的にとらえる思想が広まったこと、内部告発者がでたこと(※2)、裁判のやり方が変わった(魔女裁判で極刑がなくなった)だとか色々な説がありますが、はっきりとした理由はわかりません。

はっきりした理由がわからないものの、魔女狩りを禁止する法律が作られるようになったことも無視できないのではないかと。もともと人間には人をいじめたり、迫害する要求が潜在意識にあるようです。『女王の教室』でもオニ教師が「人間が生きている限り、いじめは永遠に存在するの。なぜなら、人間は弱いものをいじめるのに、喜びを見出す動物だからです。」といっていましたっけ。

魔女狩りというのは、当時の為政者や司教たちが、庶民に「魔女をいじめてもいいよ」ってお墨付きを与えたようなものです。だから、庶民たちはここぞとばかりに魔女狩りをしたのでしょうね。それが、お上から魔女狩りを禁止されたから、庶民たちも「魔女をいじめて罰せられるのでは合わない」って徐々にやめるようになったとも考えられます。

近年、学校でいじめにあった子の家族がイジメた子供の親に対して裁判を起こし、慰謝料を請求したという事例もありますし、裁判まで行かなくても、いじめた子の保護者に内容証明を送るとだいたい、それでいじめが収束するという話も聞きます。弁護士から書面が届けば、いじめっ子の親も子どもにやめるよう注意するからでしょう。そら、我が子のいじめが原因で罰せられたり、賠償金を払う羽目になったら合いませんよね。


ともあれ、ヨーロッパ社会において魔女狩りは18世紀(1701〜1800年)のなかごろになくなりました。

3 アメリカの魔女狩り
 ところが、魔女狩りは意外な場所で息を吹き返します。新天地アメリカ。それはマサチューセッツ州のセイラムという街で起こりました。ヨーロッパからの移民が開拓した街の一つです。それは1692年の出来事です。ある日、10代の少年や20代の青年数名が異常行動をしだしたのです。なぜ、そんな異常行動をとったのかを彼らにきいてみると、その中の一人が「魔女が自分たちに呪いをかけている」といったのです。

当時アメリカの各地で、先住民(インディアンの襲撃にあったり、伝染病が流行ったり、農作物の不作など、人々の間で不安が高まっていったのです。そうしてセイラムで、自分たちがこんな大変な思いをするのは魔女の仕業に違いないと思うようになったのです。こうしてセイラムで魔女狩りが始まりました。それは一年ほど続いたといいます。人口およそ1700人のうち、逮捕者は約200人、処刑者は19人もいたといいます・・・

魔女狩りを鎮めるような権力者が不在だったこともあり、皆が皆「あいつが魔女じゃないか」って疑うようになり、隣人同士の殺し合いもあったそうです。


4 魔女狩りはなくなったものの・・・ 


 魔女狩りそのものは無くなりましたが、魔女狩り的な集団ヒステリーがなくなったわけじゃありません。たとえば、ヒトラーやナチスに熱狂したドイツ国民もそうだし、戦前の日本もそうでした。『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、戦争に反対するゲン親子を非国民といじめる描写がありますが、実際そうしたヒコクミン狩りは戦時中おこっていたのです。それから戦後も、中国で文化大革命というものがありましたが、それはひどいものでした・・・紅衛兵とよばれる若者たちが、大人たちを集団リンチしたり、お寺を破壊したりしました。文化大革命に関しては、陳凱歌監督の『さらば、わが愛ー覇王別姫』にも描かれております。

最近のヨーロッパでも起こっているのです。SNSで「私たちの子供を誘拐して臓器売買をする奴があらわれた」というデマが書かれ、ロマとよばれる人たちが「誘拐犯」のレッテルをはられ、(デマを信じた)心無い人たちに襲撃された事件が起こっています・・・

ヨーロッパだけでなく、2018年のインドでも見慣れぬ車を住民たちが襲撃され、車の中に乗っていた人がころされてしまった事件もおこっています。これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込み。

メキシコでも2018年に一人の人間が集団リンチにあったあげく、焼死したという事件が起こりましたが、これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込みが原因。

日本では、コロナの影響で自粛警察なんて出てきました。自粛期間中に営業している店に張り紙をはって嫌がらせをしたり、東京から地方に来た車のナンバーが壊されたりという事件も起こっております。また、執拗なSNSによる批判に心を痛め自殺をした方もいらっしゃいます・・・


※ 1 フランスの哲学者ルネ・デカルトの一番有名な言葉は「我思う故に我在り」。すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができないということ。


※2 たとえば、ドイツのイエスズ会士フリードリヒ・シュペー。彼のことは前回の記事でも触れさせていただきました。→http://ehatov1896rekishi.diary.to/archives/2489208.html

参考文献
ウィキペディア

歴史能力検定世界史2級の問題用紙


週刊歴史のミステリー No.2 (2008/2/12号)
(株)デアゴスティーニ・ジャパン
2008







魔女狩り (岩波新書)
森島 恒雄
岩波書店
1970-06-20






〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻
中沢 啓治
汐文社
1993-04-01

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