魔女狩りといえば、何の後ろ盾のない庶民それも女性ばかりがターゲットと思われがちですが、実は男性、権力者もターゲットになりました。
ドイツの南部のバンベルクでその悲劇は起こりました。1600年代前半、この街でも魔女狩りの嵐が吹き荒れました。街のあらゆる階級、約900人が殺されました。当時のバンベルクはカトリックの司教が支配する広大な領地の一部でした。ですからバンベルクはカトリックの司教に支配されていたのですね。歴代の司教は魔女に対して厳しい態度をとっていたようですが、特に厳しかったのはヨーハン・ゲオルク2世。彼は魔女司教とよばれ恐れられておりました。ゲオルク2世は、当時のヨーロッパにおける冷害や疫病、戦争などの社会不安をきっかけに猛烈な魔女狩りをしました。そして、魔女の塔とよばれる建物で何百人も罪のない人たちを処刑をしたそうです。なかには子供もいたそうです・・・

そして、1627年に悲劇がおこりました。それは些細なことがきっかけで起こった事件です。市議会議員の息子、ハンス・モアハウプト(14歳)が学校で『ファウスト博士』の本を読んでいました。この本は悪魔に魂を売った男の物語です。すると、学校の先生がハンスから本を取り上げ、「この本は誰から受け取った?」と詰問をされました。するとハンス少年は「この本は、うちのメイドがくれたんだ」と。なんとハンスの家で働いていたメイドが逮捕されてしまうのです。
そのメイドは拷問を受けます。審問官から「お前の仲間の名前をいえ」といわれます。苦しい拷問を受けたそのメイドは自分の知人の名前をついつい言ってしまいます。ハンス少年やその母親も逮捕されてしまいます。これは、今まで魔女狩りといえば貧しい人がメインだったのが、特権階級にもその魔の手が伸びたことの一つの現れです。
ハンス少年やその母親の口から知人の名がでては、そのハンスの知人が逮捕され、またその知人が知っている人が、また自分の知り合いの名をあげ、いわゆる告発の連鎖が続いたのです。こうして神学者や商人、果ては政治家の名前まで出てきて、彼らも例外なく逮捕されたのです。
2 魔女狩りに抵抗した市長
こうした理不尽な魔女狩りに一人の男が「待った!」(『逆転裁判』の成歩堂くんかw)と声をあげました。バンベルク市長のヨハネス・ユニウス。
しかし、いくら市長が抵抗しようとも、その上に立つ司教ヨーハン・ゲオルク2世が魔女狩りを推し進める以上、どうすることもできませんでした。そして、そのユニウス市長も捕らえられ、厳しい拷問を受けたといいます。ユニウス市長にも「仲間の魔女の名前をあげろ」といわれます。そして、ユニウス市長も厳しい拷問のつらさから自分の知人の名前を挙げてしまいます。その数35名。その中には、引退したバンベルクの元市長、バンベルクの司教領宰相の名前も入っていました。
牢獄の中でユニウス市長は愛娘に手紙を書きました。その手紙の内容は娘への思いと、自分のしてしまったことの後悔と懺悔が書かれておりました。
「いとしい娘よ、私は厳しい拷問、激しい苦痛から逃れるために自白をしてしまった。はじめに『サバトで誰を目撃したのか』と聞かれたとき、私は『知らない人ばかりでした』と答えた。すると次は『市場の通りから街の全部の通りを引きずり回せ』と命じられた。通りを引きずられながら、私はそこの家に住む人々の名前を次々に言わせた。それが魔女の名前を自白することになったのだ」と。
このように市長までが拷問に合ったのは、バンベルクの司教領には議会もなければ、魔女狩りを止めようと断固とした措置を実行できる有力貴族もいなかったからです。普通、大規模な領地には、こうした勢力がいるのですが、バンベルクには存在しなかったのです。そのため政治家でさえ、司教に逆らえなかったのです。
この時代はルネサンスを過ぎ、科学的なものの見方も広まっているのですが、地域によっては旧式なものの考え方がはびこっていたのです。
ところが1631年状況が一変します。司教の大弾圧に苦しんだバンベルク市民の一部が周辺の大都市の権力者に助けを求めます。神聖ローマ帝国の皇帝がいるウィーン、帝国の最高裁判所のあるシュパイヤーなど。これらの大都市には大学などの学術機関もあり、魔女狩りを理性的に否定する知識階級が多かったのです。そして、ゲオルク二世に不当な魔女裁判の禁止する命令が出されました。さらに、当時のヨーロッパは内戦状態だったので、そのどさくさからゲオルク2世が逃亡したのです。非科学的な指導者がいなくなったことで、民衆は魔女狩りをやめたといいます。
理不尽なパワハラに泣き寝入りをせずに、お偉いさんの不正を訴え続けた民衆の勝利でした。
3 魔女狩りを批判する人々
このようにヨーロッパで吹き荒れた魔女狩りの嵐を黙って見過ごす人ばかりではありませんでした。魔女狩りを公然と批判する人々も出てきました。
たとえば、牧師のベッカー。彼は魔女狩りを批判したが、保守的な立場の人たちから非難され、牧師の仕事をやめさせられてしまいます。ベッカーは当たり前のことを言ったのにひどい話ですね。

ドイツのイエスズ会士フリードリヒ・シュペーも『検察官への警告』という本を著しました。この本は実名で発表すると魔女裁判にかけられるので、匿名で発表されました。シュペーは、処刑直前の人々の告白を聞く聴罪司祭でした。
200人以上の悲痛な叫びを聴いているうちに、シュペーは良心の呵責にせめられたのです。シュペーも初めは魔女憎しで自らの業務を全うしてきたのですが、それが変わったのですね。それで、魔女狩りをやめさせようとこの本を書いたのです。、「慣例で私用されている拷問を極めてむごいもので、限界をはるかに超えている」と述べました。また、噂にもとづく告発は無効だともいっています。
シュペーの提言は見事にスルーされました。

が、シュペーの告発は決して無駄にはなりませんでした。やがて、魔女狩りの終焉へ向かっていくのですが、それは次回の記事で書きます。
※ 参考
NHK bsプレミアム「ダークサイド・ミステリー」