history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

カテゴリ: ヨーロッパの歴史

今年は北京オリンピックの年ですが、次回の2026年のオリンピックはイタリアのミラノとコルティナダンペッツォと決まっております。イタリアには名所がいくつもあります。ピサの斜塔に、コロッセオにポンペイ。古代ローマの遺跡もたくさんあります。僕も機会があればぜひ訪れたいです。ポンペイといえば古代ローマの地方都市で火山噴火で滅んだ街だと言われ、映画にもなりました。ポンペイの遺跡から水道水やお風呂も発見されました。ポンペイが栄えていたのは、まだ日本は弥生時代。そのころか水道があったとは驚きですね。


さて、古代ローマで食べられていた動物がいます。その動物はポンペイの遺跡にある住宅の排水溝から骨が発掘されたと言います。その動物の性格を確かめるためにコロッセオで戦わせたところ、とてもおとなしくて戦いに向かないと思われたそうです。さて、その動物はなんだと思いますか?ヒントは割合に大きくて、動物園にもいます。


正解はキリンです。

闘技場ではカエサルが催したイベントで、キリンが登場したと言います。それにしてもキリンを古代ローマの人が食べていたというのは驚きです。キリンだけでなく、フラミンゴも食べていたというから驚きです。

*この記事は『世界ふしぎ発見』を参考にして書きました。



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1 魔術師クロウリーとは

 今日は20世紀最大の魔術師と言われるアレイスター・クロウリーのお話を。クロウリーは魔術で悪魔を呼び出そうとしたのです。とはいえ、クロウリーは魔術を悪用したわけじゃありません。街でクロウリーは、通行人と歩調を合わせ、手のふりかたもそっくりにまねをはじめたのです。そこでクロウリーが膝をつくと、それと同時に通行人もばったり。こんなふうにクロウリーは魔術をいたずらのために使っていたいたそうです。

で、普段のクロウリーは明るく社交的でアウトドア派だったそうです。登山も好きでマッターホルンのアルプスの名峰や世界で二番目に高いK 2(※1)をなんと無酸素で登ったと言います。また、日本にも訪れたことがあり、鎌倉の大仏に大変感動し出家まで考えたほど。

クロウリーは1875年にイギリスで生まれました。クロウリー家はビール工場の経営をしていて、お金持ちだったのです。その資産は日本の価値で数十億円だとか。一生遊んで暮らせる環境だったのです。クロウリーは子供ながらエリート意識が強く、人を見下すところがあったのです。実際、クロウリーは「すべてが備わっている私にとって満足できるのは世界のトップの座で活躍することだけだ」とうそぶいたほど。しかし、他人を見下す上に、協調性もなかったので、学校でいじめられ、鼻つまみにされ、退学をするハメになったのです。また、クロウリーが尊敬していた父親を早く亡くしそれで、性格もひねくれてしまったのですね。


2 クロウリーが魔術にハマるまで
 1895年、クロウリーが20歳の時にケンブリッジ大学に入学します。大学に入ったクロウリーは勉強もロクにせず、酒、女、ドラッグ、あと男にまでおぼれたそうです。それからクロウリーは魔術にはまります。

魔術は、人間が自然界に働きかけ、風を起こしたり、雨を降らしたり、あるいは人間の心を自分の意のままに操ることもできると。魔術をマスターすれば、おもいのままに社会を動かすことができると。そんな神秘的な力にクロウリーはひかれたのです。若い頃ってそういう未知の世界にひかれるものなんですよね。クロウリーは黄金の夜明け団(※2)という魔術結社の存在を知ります。魔術を学び実践をする結社です。1898年、クロウリーが23歳の時、ケンブリッジ大学を中退し、黄金の夜明け団に入団します。しかし、ここで教えていることは、すでにクロウリーが独学ですでに学んだことばかり。クロウリーにとっては釈迦に説法だったのです。クロウリーは次第に物足りなさを感じます。

そしてとうとう1899年にネス湖の湖畔に屋敷を購入し、そこで15世紀以来、ほとんど行われていなかった魔術の実験を行なっていたそうそうです。それで実験をしていたら、使用人が突然自殺をしたり、酒を飲まないはずの御者(※3)が急に酒をあおりアル中になったりと色々不思議な現象も起こったのです。そんな危険な魔術をクロウリーはやっていたのです。そんなことをやったり、団員を見下す態度をとっていたので、とうとうクロウリーは黄金の夜明け団を追放されます。

ある日、クロウリーは天使エイワスの声をきいたと言います。「汝の意志するところを行え。これこそ法の全てとならん」と。運命を神に委ねるのではなく、人自らが神となる、つまり、あなたが思うように生きなさいということでしょう。とはいえ、自分勝手に他人の迷惑をかけてまで生きるのはダメだと。そのためには魔術の修行が必要だとクロウリーは思ったのでしょう。

3 クロウリーの挫折
しかし、そんなクロウリーに次々と不幸が訪れます。娘を腸チフスで幼亡くしております。妻との関係も悪化。クロウリーは魔術に没頭していましたが、妻は全く興味がなかったのです。魔術ばかりハマってロクに働かない夫に嫌気がさしたのでしょう。妻はアル中になってしまい、とうとう離婚してしまいます。莫大な親の遺産も徐々に底をついてしまいます。

1907年、クロウリーが32歳の時に魔術教団「銀の星」を結成します。この魔術団は、儀式魔術を劇場で入場料をとって公開をしていたのです。本当のところ、儀式魔術は秘密にしなくてはいけないのに。それでバチが当たったのか、新聞でクロウリーの教団は叩かれるのですね。そして追われるように、イタリアのシチリア島にクロウリーは移住します。そこで活動をしたのですが、そこで若い信者が食中毒になってしまい、再び新聞がバッシングをするのです。新聞はクロウリーは「邪悪な魔術師」とレッテルを貼られ、イタリアから出ていったのです。その後、クロウリーはお金に困り、各地を放浪したのですが、めげずに「私はいつでも復活できる」と言い聞かせていたそうです。

そして1925年、50歳の時に魔術集団東方聖堂騎士団の総帥に就任します。転んでもただでは起きない人ですね。それからクロウリーは執筆活動を熱心にします。その数、100冊以上を超えるそうです。その中でも一番有名なのは『魔術 理論と実戦』という本で、その本には魔術の儀式やその手順などが書かれているそうです。本来、魔術は秘密にすべきなのですが、クロウリーは老若男女、全ての人に魔術を知ってもらいたいと思い、この本を書いたそうです。そして1947年12月、クロウリーは亡くなります。享年72歳。

※1 パキスタンと中国の境目のカラコルム山脈にある山。世界で二番目に高い。標高は8,611m

※2占星術だとか古今東西の魔術を一つの体系として総合的に研究する団体。詩人のウィリアム・イエイツや舞台女優のフローレンス・ファーなどの著名人も在籍していた。

※3馬を扱うもの。馬車に乗って馬をあやつる者

*この記事は

1 成り上がり
20世紀前半、人々を興奮の渦に巻き込み、そしてナチスの預言者と呼ばれた男がいました。

エリック・ヤン・ハヌッセンです。

1930年に彼が出版した自叙伝ジジョデン『私の生命線』によると「透視能力トウシノウリョク催眠術師サイミンジュツシとして名をはせた男の人生」と自信たっぷりに書かれているのです。ここまで自己評価が高いと呆れてしまいますが、逆にコンプレックスの裏返のようなものも感じられます。

ハヌッセンはオーストリアの音楽の都ウィーンに生まれました。ハヌッセンの実家は貧しかったようです。ハヌッセンの父親は旅芸人、母親はあまり売れてない歌手。食卓に並んだのはパンとスープばかり。旅芸人だから収入も不安定。ハヌッセンは自分の父親のことを「父親は何の役にも立たない貧しい悪魔だった」と酷評したほど。それで、有名になってお金持ちになりたいと幼いハヌッセンは思ったかもしれません。

ハヌッセンは14歳で親元を離れ、サーカスの猛獣モウジュウ使いや歌手、マジックショーなど色々仕事を転々としました。どれもパッとせず結局芽が出なかったのですが、失敗の中でも、さまざまなステージのノウハウを学んだのですね。

そして彼が25歳の時に第一次世界大戦(1914)が起こり、危険な戦地に派遣されたと言います。その時彼は自分の上官に声をかけたと言います。「あなたの未来を霊能力で予言しましょう、赤ん坊が見えます。男の子です」と。言われた上官も半信半疑でしたが、五日後に本当に上官に赤ん坊が生まれたと言います。喜んだ上官はハヌッセンを危険な前線任務から外したと言います。

しかし、この予言もタネがあって、あらかじめハヌッセンは前線近くの野戦郵便局に勤めている友人を買収し、事前に上官の妻の手紙を見せてもらったのですね。インチキですね。

その後、ハヌッセンは退役し、再びステージに立ちます。ハヌッセンは今度は霊能者として再スタートします。ハヌッセンが目隠しをし、観客が無作為にマッチだとか物を隠し、その隠し場所をハヌッセンが当てるというのです。この霊能力ショーは大当たり。ハヌッセンの霊能力ショーは評判で、4万6千人以上も動員したと言います。そんなんでも各地から依頼は殺到し、月収は1000万円だとか。

さらにセレブを相手に占いも個人的にやったと言います。料金は相談者の月収の4倍で、一回約30万はくだらないと言われたほど。そうやってハヌッセンは金持ちになったのです。

それにしてもハヌッセンはそんなに霊能力があったのでしょうか。おそらくハヌッセンはそんな能力はなく、洞察力や共感力が優れていたのだと思います。また、彼は占いとか霊能力ショーをやる前に、スタッフに命じて事前に相談者や観客のデータをリサーチしていたと言います。観客の情報を公演のたびに記憶していたというから驚きです。

2 ナチスに接近
そしてさらなる名誉欲にかられたハヌッセンはナチスに近づくのです。ハヌッセンはナチスの幹部のヘルドルフに近づきます。彼はギャンブル好きで、30万ライヒスマルク(1億6000万円)もの借金を抱えていたと言います。ハヌッセンはヘルドルフの借金の半分を肩代わりしたと言います。そしてヘルドルフの人脈を生かし、ハヌッセンはナチスの幹部にどんどん接近します。

そしてハヌッセンは1931年1月に印刷所を買収し、自ら新聞を発行しました。「週刊ハヌッセン新聞」。その内容は健康情報や日常のお役たち情報、それからハヌッセンのオカルトじみた話も掲載されました。その新聞は大評判だったと言います。またハヌッセンは予言や占いの形で、「ヒトラーが政権を取るべき」と応援も始めたのですね。ナチスにとっても、人気者のハヌッセンがヨイショしてくれるのだからありがたいのですね。

そんなハヌッセンに危機が訪れます。新聞のスクープ記事でハヌッセンがユダヤ人だとスクープされます。ハヌッセンはこれまで自分がユダヤ人だといことをひた隠しをしていたのです。この報道にヘルドフルは激怒しました。そりゃナチスはユダヤ人を敵視していましたからね。ヘルドルフはハヌッセンを尋問しますが、ハヌッセンは「自分はユダヤ人の養子になっただけでユダヤ人ではない」とウソをついてその場をしのいだと言います。

でも、ユダヤ人のハヌッセンがナチスに近づくのは危険ですよね。はじめはうまくごまかしても後でバレる可能性がある。しかし、それはハヌッセンの抜け目のないところ。ハヌッセンは先のヘルドルフをはじめナチスの幹部たちに金を貸して、その借用書も大切に保管していたのですね。もし、その借用書が世間に知れたら、ナチスはユダヤ人にお金を借りている、資金援助してもらっていることが知られてしまいます。だから、その借用書があれば仮にユダヤ人だとばれたとしても大丈夫だとハヌッセンは思ったのでしょう。のちにハヌッセンはナチスに入党しますが、それくらいハヌッセンはナチスとやっていけると自信があったのでしょう。

3 ハヌッセンの転落
そして、1933年1月30日にヒトラーが首相になります。ヒトラー政権誕生にハヌッセン新聞がヒトラー首相就任を予言したと大評判。さらに勢いにのったハヌッセンは首相ヒトラーに熱烈な提灯記事チョウチンキジを新聞に載せます。ハヌッセンはヒトラーをマンセーして良いポジションをナチスからもらおうと思ったのかもしれません。

さらにハヌッセンはベルリン中心街の高級住宅に住みました。通称オカルト宮殿。友人たちを招いては降霊術や占星術を行なっていたいました。もちろん、彼にそんな能力などあるはずがなく、部屋のあちこちに盗聴器を隠したり、スタッフにゲストの情報も事前に収集させたりしたのですね。まさにハヌッセン絶頂期。しかし、ハヌッセンの危機はすぐに訪れます。


1933年2月27日、国会議事堂が突然火事になります。ナチスはそれを共産党の仕業だと宣伝します。その事件の前夜、オカルト宮殿にハヌッセンはセレブや新聞記者を招いて交霊会を開きました。その席で「火が見える」とハヌッセンは予言しました。実は、この放火事件はナチスの自作自演と言われ、その情報を事前にハヌッセンはナチス側からリークしていたのですね。ハヌッセンは自分がいかに予知能力を持っているとアピールしたかったのですが、それが裏目に出たのです。それ以降、ハヌッセンは何者かにおびえるような発言を友人にするようになります。命をナチスから狙われるようになったのかも知れませんね。予言という形をとったとはいえ、ハヌッセンがナチスが秘密にしていたことをばらしたのですからね。

そして、ハヌッセンは1933年3月25日に突撃隊によって妻と共にベルリンで暗殺されたと言います。暗殺された理由はヒトラーがハヌッセンの存在を疎ましく思ったからだとも、権力構想に巻き込まれたかとも、ユダヤであることがバレたとか、はたまた借用書が世に出ることを恐れたナチスが暗殺したとも言われております。ハヌッセンの遺体は郊外捨てられ、その遺体はケモノの餌食になったと言います。

殺された理由はともかく、僕はハヌッセンの死に思うところがあるんですよ。ハヌッセンはナチスの御用コメンテーターであり、悪くいえば太鼓持ち。太鼓持ちって、例外もいるが、リーダーや権力者から好かれていなくて、「もし自分が落ち目になったら、こいつ裏切るぞ」って不審に思われることの方が多いんですよ。本当に尊敬してれば別ですが、上に立つ人は色々な人を見てますからね。

ハヌッセンはヒトラーに心酔してたけれど、ヒトラーやナチスを利用して自分がのしあがろうという節もありましたからね。自分の栄達ばかり考えるから、国会議事堂火災事件の件もうっかりバラしてしまう。そういうところをナチスはハヌッセンを信用しなかったのかもしれません。



ちなみに「ヒトラーは1920年代の早い時期に占星術師のハヌッセンという人物から演説や心理学の手ほどきを受けた」と言われておりますが、実際ヒトラーとハヌッセンの接点はなかったようで、そのような事実もなかったそうです。

* この記事はWikipediaやNHK「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。

* この記事はNHKの「ダークサイドミステリー」を参考にしてかきました

オオカミ男をご存知でしょうか?普段は人間だが、夜に月を見るとオオカミに変身し、人間を襲い、ズタズタに人間を殺してしまうと。怖いですね。オオカミ男はアニメやゲームにもよく出てきますね。そんな恐ろしい化け物が本当にいたのでしょうか?

オオカミ男は実在するかどうかって話ですが、結論を先に申し上げれば、オオカミ男はいなかったと思います。実際に人間がオオカミに変身する様子を見たという記録はないのですね。ただ、オオカミ男のレッテルをられて、無実の人たちが犠牲ギセイになったのですね・・・以前に魔女狩りのことを書きましたが、魔女狩りの話と通ずる問題であります。

さて、オオカミ男の呼び名は国によって違います。イギリスではウェアウルフ、ドイツではリカントリープ、フランスではルーガルーという具合。それくらいヨーロッパ各地で、その存在がウワサされたのですね。昔はネットも何もなかったからなおさら、そういうものがいると信じられていたのでしょう。

そんな中世ヨーロッパでオオカミ男が人間を襲ったという事件が起こったのですね。16世紀、ドイツのベットブルクという村で事件が発覚したのです。それまで、この村で25年もの間、子供が行方不明になったり、森に入った人がバラバラ死体になって見つかったりと奇妙キミョウなことが続いていたのですね。犯人はダレだろうと不思議がり、そしてこの村にオオカミ男がいるんじゃないかってウワサされるようになったのです。そして1589年に一人の男が容疑ヨウギにかけられました。

容疑をかけられたのがペーター・シュトゥンプという農夫でした。彼は、厳しい拷問ゴウモンをかけられたのですね。ペーターが課された刑というのは車裂クルマザききの刑というもので極めて残酷ザンコクで、重罪人に課されるものでした。ペーターは叫びます。「俺はオオカミ男だ」って。そして、自分は悪魔からベルトをもらい、そのベルトをつけるとオオカミに変身でできると。オオカミに変身し、25年にもわたって、14人の子供と2人の妊婦を殺して食べ、家畜カチクまでもむさぼり食ったと。さらには自分の娘とも寝たと自白したのですね。

意外かもしれませんが、オオカミは滅多なことでは人間を襲わないのですね。あるとしたら狂犬病にかかったとか、人間がオオカミの縄張りに入ったとかありますが、基本的には人間を襲いません。しかし、オオカミ男だったら人間を襲う可能性が高いというので、ペーターはオオカミ男だと疑われたのですね。

もちろん、当時は科学的な調査などあるはずがなく、ペーターはオオカミ男と疑われたまま亡くなったのですね。結局、子供たちを殺したのは誰なのか分からずじまいだったのですね。もちろん、ペーターが本当に犯人だった可能性もありますが、冤罪エンザイっぽいなあ。

さて、オオカミ男についてですが、オオカミ男は16世紀になって突然ウワサされたのではありません。オオカミ男の伝説は古代からありましたし、12世紀の後半には『ビスクラヴレット』(※1)という小説にもオオカミ男が登場するくらいですから、広くその存在がうわさされたのですね。

しかし、『ビスクラヴレット』が出た頃のヨーロッパは、森の開拓が進んだ時期でした。昔は自然にたいする畏敬イケイの念がったのですが、この頃のヨーロッパの人たちは森を畏敬イケイの対象としておらず、征服するものだと考えていたのです。森林を切り拓けば開くほど良くて、森林を壊せば環境破壊になるなんて考えはなかったのですね。今はヨーロッパは環境問題に熱心ですが、この時代は違ったのですね。当然、森林を壊せば、狼の住処スミカを奪ってしまうことになるのです。住処を奪われたオオカミにとって迷惑な話なんです。森林破壊だけでなく、オオカミの獲物のシカやウサギ、イノシシなども人間が狩るので、オオカミは食べ物を求め、家畜を襲ったりするのです。だから人間にオオカミは嫌われてしまったのですね。元はいえば森林破壊をした人間の方が悪いのですが。とはいえ人間も生き抜かなくてはならない。

なんだか、宮崎駿監督の「もののけ姫」と通じるテーマだなって。人間も生きるために森を切り開かなくてはならない、一方のオオカミほか動物たちにとっては人間は自分たちの住処を脅かす悪いヤツらなんでしょうね。

人間ははじめはオオカミをたくましさと理性の象徴として畏敬の念があったのですが、次第に自然を崇拝から支配へという意識に変わりました。そうしてオオカミも人間にとって支配すべきもの、悪いものとみなされるようになるのです。「赤ずきんちゃん」でもオオカミは完全に悪者ですよね。またオオカミ男は、キリスト教と敵対する悪魔の化身だとみなされていました。キリスト教が、自然崇拝だとか土着の信仰を駆逐するためオオカミ男伝説を利用してきたのですね。

そして14世紀に入るとヨーロッパは小氷期になり、気温が寒くなるのです。寒冷による飢饉キキン、ペストの大流行に、戦争。そのため多くの人たちが亡くなったのですね。しかも悪いことにこの頃のヨーロッパは魔女狩りが盛んでした。魔女狩りにあわせて、オオカミ男狩りも行われるようになったのです。それは18世紀ごろまで続いたといいます。

殺人事件や誘拐事件が起こると、「これは悪魔の使いのオオカミ男の仕業に違いない」って人々が思うようになったのですね。当時のヨーロッパは、今のコロナショック以上に人々は不安に駆られていたのですね。そうした不安のはけ口を弱い人間にぶつけたのですね。それは魔女狩りと一緒。魔女狩りもどちらかというと貧しい女性がターゲットになったそうですから。そうしてオオカミ男と噂された人間は裁判にかけられたり、拷問ゴウモンを受けたり、最悪、処刑されたのです。いつの時代も、人間は自分たちが不安になると、誰かをスケープゴートにして攻撃をしたがるのだなって。例えば、緊急事態宣言中に営業していた飲食店やカラオケボックスが自粛警察から嫌がらせを受けたなんて話もそうだし、学校のいじめもそうだなって。

こうしたオオカミ男狩りは、世界を合理的に見ようとする啓蒙主義ケイモウシュギが広まるようになってから、下火になりました。啓蒙主義が広まるとオオカミ男狩りだけでなく、魔女狩りも下火になりました。

* おまけ
車裂きの刑の話が出てきたので、具体的にどんな刑だったのかをご紹介します。この刑罰は非常に残酷で、中世で最も重い刑です。一言でいえば、受刑者の体を打ちクダいてしまうのです。




※1マリー・ド・フランスが書いたもの。フランスで美しい貴公子がいたが、実は彼はオオカミ男だった。夜になると服を脱いで森に向かう。そこでオオカミに変身する。そのことを知りショックを受けた彼の妻は、愛人と共謀し、貴公子が着ていた服を隠してしまう。人間に戻れなくなった貴公子は、オオカミの姿のまま、妻に復讐をするべく、そのチャンスをうかがうというのが、大体のあらすじ。



この記事はウィキペディアと「世界ふしぎ発見」を参考にして書きました。

アルプスの少女ハイジ リマスターDVD-BOX
ロッテンマイヤー:麻生美代子
バンダイビジュアル
2010-11-26



『アルプスの少女ハイジ』といえば、Z会のCMいやw、1974年にカルピス劇場で放送されました。1974年というと僕はまだ生まれていないので、リアルタイムでは見たことがないのですが、再放送(再再放送かな?)で見たことがあります。主人公のハイジとクララの友情は感動的なものがありますし、おんじをはじめとした登場人物の優しさ、それとロッテンマイヤーさんが怖いこと、怖いことw

さて、ハイジに登場する、おんじの経歴なんですが、なんと彼は傭兵ヨウヘイだったのです。僕も「世界ふしぎ発見」で知り、大変驚きました。アニメでは、おんじの過去はあまり語られれることがなく、山小屋に住む、気難しいけれど、本当は優しいおじいさんとして描かれていましたからね。ただ、おんじは人々からメッチャ疎まれていて、アニメの第一話でも、おんじのことを良く言う人は誰もおらず、若い頃は人殺しもしたと散々な言われようです。

「アルプスの少女ハイジ」の原作は、1880年に出版された『ハイジの修業時代と遍歴ヘンレキ時代』と翌年ヨクトシの1881年にでた続編『ハイジは習ったことを役立てることができる』の2冊。つまり、ハイジは19世紀後半にものなのですね。ハイジの時代背景もだいたい19世紀ごろのスイスと言って良いでしょう。

スイスは今でこそ観光立国ですが、昔は外国で戦争が起こるたびに若者を戦地に送り込んで外貨をカセいでいたのですね。スイスは15世紀から19世紀にかけて傭兵を各地に送っていました。スイスの傭兵は山岳地域でキタえぬかれた頑強ガンキョウな体の持ち主でした。だからこそ、スイスの傭兵は重宝されたのですね。スイスは国中が山だらけで農業もできない上に、資源もありません。だからこそ、スイスにとっては傭兵稼業は国が生き残るために必要なことだったのですね。また傭兵稼業ヨウヘイカギョウによってスイスは強大な軍事力を保有する事となり、他国にとっては、侵略がとても難しく、侵略してもそれに見合った利益が得られない国だと言われるようになったのですね。20世紀になって『民間防衛』(※1)という本がでましたが、そんな歴史を持つスイスならでは。

そんなスイスが変わったのは、1869年にヴィクトリア女王がスイスに五週間も滞在してから。ヴィクトリア女王はスイスの美しい風景に感動したとか。五週間もいたとうことはよっぽどスイスのことを気に入ったのでしょうね。それ以降、観光客が訪れるようになりました。そうしてスイスが観光立国に生まれ変わったのです。

また、1815年にスイスは永世中立国エイセイチュウリツコク宣言をし、1874年にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には自国民の外国軍への参加を禁止したのですね(※2)。このため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになったのですね。逆にいえば、輸出禁止により職を失う傭兵も出てくるのですね。要領ヨウリョウよく転職できた人は良いのですが、そうでない人も少なくなかったのですね。

軍人とか傭兵というのは戦争の時は英雄エイユウとして持ち上げられますが、戦争が終わったり、退役すると厄介者ヤッカイモノ扱いされることが多い。映画「ランボー」ではベトナム戦争の英雄が、退役後、厄介者扱いされて警備けいびの仕事すらつけない悲しさが描かれております。

ハイジのおんじが気難キムズカしくなったのも、色々苦労があったんだろうな。また原作では、おんじの若い頃は血気盛んで、ケンカのあげく殺人をしたと書かれております。そんな過去もあって、おんじは嫌われたのだろうな。そこへハイジがやってきて、おんじも心の安らぎを得たのかもしれません。


ちなみに傭兵ヨウヘイの輸出禁止と言っても、傭兵が完全にスイスからいなくなったわけではないし、中世からの伝統をもつバチカン市国のスイス衛兵のみは、ローマ教皇キョウコウを守るために、唯一の例外として認められております。また、スイスは永世中立国といっても軍隊を持ってる上に徴兵制チョウヘイセイまであります(※3)。


* おまけ

ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」の序曲、「スイス軍の行進」を。1829年に作曲されました。スイス軍はとても強く勇敢でした。曲を聞くと、そんなスイス軍の強さが伝わってきます。僕は世代的に「オレたちひょうきん族」を連想してしまいますw





※1 1969年にスイスで出版され、各家庭に260万部発行・無償ムショウで配布された。発行元はスイス国民保護庁。冊子サッシには戦争の危機に際して必要な準備や心構えなどについて解説されている一方で地震ジシンなどの自然災害への備えに関する記述キジュツは皆無。しかし、この冊子の内容をめぐってスイスでデモが起こった。現在では冷静時代の遺物イブツとみなされ、この本の存在自体がスイスで忘れ去られている。逆に日本人に「民間防衛」のことを質問されて、初めてこの本の存在を知ったスイス人もいるほど。

※2 1936年に勃発したスペイン内戦では、これに参加した自国民に対して禁固刑キンコケイなどの処罰が成された

※3 永世中立国は自前の軍隊を持ち、有事の時は自分たちで国を守らなくてはならないという決まりがある。日本も永世中立国になろうという意見も左の人たちを中心に言われていたが、日本が永世中立国になるとアメリカとの同盟も無くなってしまうし、民間人もそれこそ「民間防衛」を片手に日々の防衛意識を高めなくてはならなくなるから、むしろ大変なことになる。


ランボー3 (字幕版)
ランディ・ラネイ

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