1 ドラえもんを見た違和感
アニメ版の「ドラえもん」(テレ朝)が始まったのは1979年(昭和54)です。日テレでも「ドラえもん」は1973年(昭和48)にアニメ化されたのですが、あいにく僕はまだ生まれていないし、大山ドラ世代なので、そちらの方は見たことがありませんし、ようつべでチラッと見た程度なので、日テレ版ドラえもんを多くは語れません。確かドラえもんの役を富田耕生さんが演じられていたのですね。当時のスタッフは、ドラえもんというキャラクターに友達ではなく、「世話好きなおじさん」というイメージを抱いていたようですね。あと途中トチュウで富田さんから野沢雅子さんにバトンタッチされたようですね。

ここからが本題なのですが、最近CSで大山ドラ時代の「ドラえもん」が再放送しているのですね。それも1979年ないし1980年代初頭の「ドラえもん」です。わさドラに変わってはや15年以上経っていますし、ようつべで大山ドラの動画があってもすぐ消されるので、もう大山ドラを見るにはビデオ屋さんに行くしかないのかって思っていただけに、驚いています。ジャイアンのたてかべ和也さんやスネ夫の肝付兼太さんと言ったメインメンバーが鬼籍キセキに入ったこともあり、ますます見たくなったのですね。

久々に見させてもらいましたが、衝撃ショウゲキを受けましたね。声優陣は大山のぶ代さん以下おなじみのメンバーなのですが,ある意味、わさドラを初めて見た時よりも違和感を感じましたね。

例えば、しずかちゃんがドラえもんのことを「ドラえもん」って呼び捨てしているのですね。僕は物心ついた時から、しずかちゃんは「ドラちゃん」っていうものだとばかり思っていたし、わさドラでさえ、しずかちゃんは「ドラちゃん」ですからね。あと、のび太を「のび太さん」ではなく「のび太くん」ってしずかちゃんが呼んでいるのですね。

こうした違いは原作でも見られます。原作ではドラえもんはのび太のことを呼び捨てですし、しずかちゃんのことは皆「しずちゃん」って呼ばれています。

また、セリフも結構過激で、「殺す」とか「頭がおかしい」とか言葉もポンポン出てくるのですね。僕は思わず笑ってしまいました。原作の「ドラえもん」も結構辛辣シンラツな言葉が出てきますから、そういう意味では原作通りなのですが。原作はともかく、アニメ版の「ドラえもん」といえば、汚い言葉が出てこないイメージがあったので、驚きました。というか、僕がリアルタイムで見た時は、あまりに小さかったので、忘れていただけかもしれない。

のび太のママは怖いママだという印象がありますが、改めてみるとヒステリックに怒るだけで、あんまりいいお母さんじゃないなって。成績が悪いんだったら、頭越しに怒らないで、一緒に勉強を見てあげたほうが、お互いのためだと思う。

勉強しろといっておいて、自分はテレビみて、せんべえ食ってたら説得力ないですね。美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」では、かあちゃんが男に混じって懸命に働いている姿をみて、子供は、必死に勉強して、大学をでて、エンジニアになったのですよ?百の説教より、親の姿勢ですね。「ヨイトマケの唄」聴かせてあげたいですね。のびママに。


そして何よりも、ジャイアンとスネ夫にいじめられているのをママは知らないのかって思いましたね。のび太がジャイアンとスネ夫にボロボロにされ傷だらけになったのに、のび太が帰ってきたら、心配するよりも、帰りが遅いとがみがみ怒るばかり。これじゃあ、のび太がママに心を許さないなって。普通親がそこまでいじめられたら、心配するし、学校にもいうでしょ。また、のび太がせっかく貯金してためたゲーム機をあっさりジャイアンにとられても、無視するなんて。こんなの普通だったら親が怒ってジャイアンの家へ押しかけ取り返しに行くでしょ、普通の親なら。

また、のび太は夜更かしをしていないのに、学校でも寝たり、家に帰ったら昼寝。これは、怠けているというより、そもそも体の調子がよくないのではないかって、これは一度医者に見せたほうがいいと、少なくとも僕の母なら思いますね。

まあ、漫画なら仕方がないな。藤子・F・不二雄先生は高度成長期の教育ママをモデルにして、のび太のママを描いたそうです。あの時代は、いい学校、いい会社に入れば絶対幸せになれるって神話が信じられていた時代でしたからね。昔はいい大学に入っていれば、それだけで一流企業に入れた時代でしたからね。昔の日本は、政治の世界では田中角栄、実業界では松下幸之助のような一流の人間がいて、彼らの言うことを黙って従っていればよかった。コクドの堤義明さんなんて「頭の良い奴はいらない。大事なことはすべて俺が決める」とうそぶくほどでしたから。堤さんのいう頭の良いとは勉強のできる人という意味ではなく地頭の良すぎて上司に反発する人間のことです。

で、落ちこぼれは我が子でも冷たくされたのです。だから、家庭内暴力が社会問題になったんですね。あの時代戸○ヨ○トス○ー○が注目されました。あの学校がモデルの「スパルタの海」見たけれど、親も悪いなって。散々冷たくしておいて、子供が言うこと聞かなくなったら、高いお金払って、預けっぱなし。

まあ、そんなのびママも、時には優しい面も見せるので、やはり親だなっておもうこともあります。のび太が帰りが遅くなった時は、うんと叱った後におにぎりをつくってくれたり。時には慰めてくれたり。

ちなみに、最近のわさドラにでてくる、のび太のママはそんなに叱らないんですよね。今の時代の風潮か。

のび太の先生のほうは、完全に成績至上主義。良い成績の生徒は贔屓するが、成績が悪い生徒にはダメ人間扱い。のび太の先生はなにかと学校の成績だけがその子の運命を決めるいうけれど、それって本当に正しいの?そりゃ良い成績をとって、いい大学に行き、国家の官僚になったり、政治家になれば万々歳ですよ。勉強が大事なのは百も承知。学生は勉強することが仕事ですからね。でも、のび太の先生、勉強勉強で、青春期という大事な時期に他社とのかかわり方も満足に学べず、激しい競争社会で、他者への思いやりを忘れた者が、官僚や政治家になって不祥事を起こしたり、汚職をやったりしてますが、どう思いますか。オウム真理教の信者だって成績が悪い子どころか、むしろエリートが多かったのですよ?

のび太の先生が一番ダメというか悪いところは、のび太がいじめられていることに無関心なのですよね。ジャイアンって映画ではいい奴だけれども、買ってきたばかりのバットで試しに殴らせろとかいったり、人のものを無理やり取り上げて「永久に借りておくだけだぞ!」ってうそぶくような奴ですよ?そんなのをきちんと叱らず、のび太ばかり叱るのは非常に良くないなって。ジャイアンをしかるのも成績が悪いとか、そんなのばっかり。たまに、のび太の先生もよい事もいうし、決して悪い先生ではないのですが。

でも、のび太の先生は「キテレツ大百科」にでてくる佐々木先生にはかないませんね。佐々木先生は厳しいけれど、生徒思いだし、絶対えこひいきしない。「キテレツ」に出てくるガキ大将にブタゴリラというのがでてくるのですが、ブタゴリラがいたずらをしたらきちんと叱るし。いじめなんてしようもなら激怒すると思いますよ、佐々木先生は。


まあ、昔は結構多かったのですよね、のび太の先生みたいな人。今でこそ個性が大事って言われてますが、昔は理不尽な体罰もあったし。いわゆる管理教育の時代。そのアンチテーゼとして、「金八先生」とか「熱中時代」、さらには「僕らの7日間戦争」といったドラマや小説がうまれ、いきすぎた成績至上主義や管理教育への反発から校内暴力へと繋がったのですよね。また、尾崎豊さんが「15の夜」や「卒業」といった名曲を生み出したのも、こんな教師たちへの反発が背景にあるのですね。


で、ジャイアンもスネ夫も今見ると結構理不尽ないじめをしているし。実は、1980年代はいじめが社会問題になりまして、自殺も問題になったし、今の若い子は知っているかな?葬式ごっこなんてありまして、その事件は1986年におこった事件で、男子生徒が日常的に暴行を受けるまでになり、さらに、そのいじめグループらの主催によって学校でその男子生徒の「葬式ごっこ」が開かれることとなったのです。その「葬式ごっこ」にはなんと担任教師ら4人が加担し、寄せ書きを添えていたといういうから本当に呆れた話です。

ママは教育ママだし、先生は成績至上主義、ジャイアンとスネ夫は理不尽ないじめをするし、のび太はドラえもんがいるから救いがあるのだなってつくづく思いますね。


僕もいじめに苦しめられたから、ドラえもんのいじめの描写は見てて辛かった。また幸い僕の担任の先生はいじめ問題に熱心な先生が多かったから本当にラッキーだったと、ドラえもんみる度におもいます。いじめって本人もしっかりしなきゃいけないけれど、先生が真面目に取り組まないとなくならないですよ。


藤子先生は、ドラえもんを通していじめや学校の問題などの風刺も描いていたのだなあって。

もっとも、最近のわさドラはソフトな感じになって、ジャイアンも昔ほどのび太をいじめないのですね。昔はのび太みたいなタイプは落第生でダメ人間のレッテルしかはられませんでしたが、最近は割とのび太の優しさとか、そういった面が再評価されていることもあるのかな。

また、子供のころは落ちこぼれだったのに、社会的な成功をおさめている実業家や有名人は少なくないし、むしろ自分の得意な分野を伸ばして成功した人も多いです。かのスティーブ・ジョブズも子供のころは変わり者で、いじめられっ子だったそうですし。のび太もどちらかというと、一芸を伸ばせばすごく成長しそうなタイプだし。


のび太は勉強はダメだが地頭は良いと思う。ドラえもんの道具をいたずらのために悪用する知恵はなかなかのもの。良い方向へ伸ばせば大化けするかもしれない。そういう意味でも、のび太に光が当たり始めたのかもしれない。