今日は青森県にある三内丸山遺跡さんないまるやまいせきについて。この遺跡が本格的に発掘されたのが1992年(平成4)以降ですが、発掘の結果わかったのは、この遺跡が今から約5500年ごろないし約4000年以前のものだと分かったのです。時代は縄文時代の前期から中期の間。竪穴住居や祭祀に使われた土偶どぐうや土器などが発見されました。ドキドキしますねw


さらに同遺跡から多数のクリ、クルミ、トチなどの殻やエゴマやひょうたん、ゴボウなども出土されたほか、ヒエも多量に検出されました。そのため、この遺跡に住んでいた人たちはヒエをたべていたのです。ヒエーですねwあんまり受けなかったみたいですねw

従来、縄文時代の人々は狩りをしたり、魚や貝をとったり、木の実をとったりしながら生活をしていたと思われがちですが、三内丸山遺跡の状況をみるにつけ、三内丸山の人たちは、自然の恵みの採取活動のみに依存せず、集落の周辺にくるみなどの堅果類けんかるいの樹木を多数植栽しょくさいしており、一年草を栽培さいばいしていた可能性も考えられるのです。しかも指導者がいて、その指導者のもとで計画的な集落経営をやっていたことがわかったのです。

それまで、縄文時時代は家族程度のごく小さな単位で、移動しながら暮らしたとか、狩猟sしゅりょうと木の実の採集さいしゅうに頼っていたと思われていたのです。それが、この遺跡の調査により、縄文時代の文化は従来考えられていたものよいりも進んでいたのですね。


ただ、縄文時代に稲作まで行われていたかはまだ疑問です。

僕は藤子・F・不二雄先生の「エスパー魔美」という漫画で「縄文農耕説」というのを知りました。縄文時代にすでに農耕が行われ、稲作もすでに行われていたという説。あいにく、三内丸山遺跡からは稲作が行われていた証拠はありません。藤子先生の漫画は歴史の勉強にもなるんですよ。

稲作が行われるようになったのは今のところ弥生時代からと考えてよさそうです。東北では青森県田舎館いなかだて村の垂柳遺跡たれやなぎいせきの水田跡、それから青森県の岩木山の北東部の山麓さんろくにある砂沢遺跡すなさわいせきに水田跡が有名どころでしょうか。しかし、それまでの気候がかわり、温暖期から寒冷期に入ったために、紀元前3世紀ごろから四世紀ごろに東北地方における稲作が衰退してしまいます。


※ 参考文献

エスパー魔美(8) (てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄
小学館
2017-02-28



これならわかる東北の歴史Q&A
進, 榎森
大月書店
2008-06-01