日本史の問題で「645年に起きたことといえば?」と問われたら、「大化の改新」だと答える人はおそらく30歳以上の人が多いかと思います。「645年=大化の改新」という記述は、現在の歴史教科書から消えております。現在では、645年は乙巳いっしの変が起きた年と記載されているのです。

乙巳の変とは、蘇我入鹿ソガノイルカ中臣鎌足ナカトミノカマタリ中大兄皇子ナカノオオエノオウジがて組んで暗殺し入鹿の父である蘇我蝦夷ソガノエミシが自殺に追い込まれたクーデターのこと。僕らの世代は入鹿が殺されたことが大化の改新みたいな感じで習ったのですが、実際は違うのです。大化の改新とはクーデター後の政治改革のことであって、クーデターそのものではないのですね。中大兄皇子は、鎌足と共に、唐から新しい国家体制を学んで帰国した僧や学者らと、天皇中心の中央集権国家を建設しようとしたのです。そうした一連の政治改革を「大化の改新」というのですね。

ちなみに、蘇我入鹿という人物はどのような人物かというと、聖徳太子と共に政治を行った蘇我馬子の孫です。蘇我一族は自分の娘を天皇に嫁がせ、権力を握っていたのです。推古天皇スイコテンノウも蘇我馬子のめいに当たります。そして入鹿は、聖徳太子の血をひく一族を滅ぼし、我がもの顔だったのです。


いわば乙巳の変は大化の改新の幕開けとなった事件だったのですね。

* 参考文献