今日から数回にわたって歴史の教科書のお話をします。僕が学生だった頃の◯年前wと今の歴史教科書とでは教えている内容が異なるそうです。

まずは縄文時代と弥生時代のことを。僕が学生の頃は縄文時代の始まりは1万年前だと教わりました。というか、覚えてねえw

ところが、今の教科書では1万2000年前ないし1万3000年前と書かれております。その後の調査で変わったのでしょう。ところが、最近の研究で、縄文時代が1万6500年前に始まった可能性があり、教科書の記述もさらに1万6500年前と変わる可能性もあるというのです。

1998年に出土した縄文式土器を放射炭素年代測定にかけてみたところ、その土器が1万65字00年前のものだという数値が出たのです。

それと、縄文時代は狩猟の時代で、稲作は弥生時代から始まったというのが定説でした。ところが、農耕はすでに縄文時代から始まって、ごまやアワ、イモなどはすでに栽培をされていたのです。藤子・F・不二雄先生の「エスパー魔美」に、縄文農耕説の話が出てきます。「エスパー魔美」が連載されたときは、まだ縄文農耕説はトンデモ説だったのですが、今では通説になっているのですね。

さらに稲作もごく一部の地域ではありますが、縄文時代からすでに始まっていたと言います。2005年に岡山県の彦崎貝塚ヒコサキカイヅカの6000万年前の地層から大量のプラントオパールがみつかったのです。その量が土壌1g中に2000、3000というまとまったものだから驚きです。プラントオパールとはイネ科植物の葉の細胞成分のことです。また熊本県の大矢遺跡からは稲もみの圧痕アッコンがついた縄文土器が出土しているのです。この土器は約5000〜4500年前の縄文時代中期のもので、稲もみのあとがついたものとしては今のところ、この大矢遺跡から出土された土器が最古だそうです。さらに九州の北・中部地方で出土した縄文時代後期の土器の中には玄米などにわく害虫であるコクゾウムシの痕がついたものも見つかっております。すでに縄文時代に稲作が行われたことの証明になります。これらの発見から、稲は弥生時代に大陸から伝わったという通説が覆るかもしれないのです。

とはいえ、縄文時代に稲作は全体的に行われていたわけではないのですね。だから、縄文時代に稲作が行われていたのは、一部の地域のみというのが精一杯ですね、今のところ。ただ、今後の発見でまた変わるかもしれないのですね。ドキドキしますねw

稲作が全国的に行われるようになったのは弥生時代と僕らは学校の授業で教わりましたが、実は弥生時代になっても稲作が行われなかった地域もありました。たとえば北海道や沖縄。北海道や沖縄はケモノや魚を追い回していたのですね。だから、本州及び四国、九州では弥生時代に稲作が行われていたのですが、北海道と沖縄ではまだだったと。だから、全国的というのは正しくなく、弥生時代には稲作が、北海道と沖縄を除くほぼ全国で行われていたというのが正しいようです。


以上のことから、「縄文時代=狩猟採集」「弥生時代=稲作時代」と定義づけるのは正しくないのですね。

* 参考文献

エスパー魔美(8) (てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄
小学館
2017-02-28