1 魔術師クロウリーとは

 今日は20世紀最大の魔術師と言われるアレイスター・クロウリーのお話を。クロウリーは魔術で悪魔を呼び出そうとしたのです。とはいえ、クロウリーは魔術を悪用したわけじゃありません。街でクロウリーは、通行人と歩調を合わせ、手のふりかたもそっくりにまねをはじめたのです。そこでクロウリーが膝をつくと、それと同時に通行人もばったり。こんなふうにクロウリーは魔術をいたずらのために使っていたいたそうです。

で、普段のクロウリーは明るく社交的でアウトドア派だったそうです。登山も好きでマッターホルンのアルプスの名峰や世界で二番目に高いK 2(※1)をなんと無酸素で登ったと言います。また、日本にも訪れたことがあり、鎌倉の大仏に大変感動し出家まで考えたほど。

クロウリーは1875年にイギリスで生まれました。クロウリー家はビール工場の経営をしていて、お金持ちだったのです。その資産は日本の価値で数十億円だとか。一生遊んで暮らせる環境だったのです。クロウリーは子供ながらエリート意識が強く、人を見下すところがあったのです。実際、クロウリーは「すべてが備わっている私にとって満足できるのは世界のトップの座で活躍することだけだ」とうそぶいたほど。しかし、他人を見下す上に、協調性もなかったので、学校でいじめられ、鼻つまみにされ、退学をするハメになったのです。また、クロウリーが尊敬していた父親を早く亡くしそれで、性格もひねくれてしまったのですね。


2 クロウリーが魔術にハマるまで
 1895年、クロウリーが20歳の時にケンブリッジ大学に入学します。大学に入ったクロウリーは勉強もロクにせず、酒、女、ドラッグ、あと男にまでおぼれたそうです。それからクロウリーは魔術にはまります。

魔術は、人間が自然界に働きかけ、風を起こしたり、雨を降らしたり、あるいは人間の心を自分の意のままに操ることもできると。魔術をマスターすれば、おもいのままに社会を動かすことができると。そんな神秘的な力にクロウリーはひかれたのです。若い頃ってそういう未知の世界にひかれるものなんですよね。クロウリーは黄金の夜明け団(※2)という魔術結社の存在を知ります。魔術を学び実践をする結社です。1898年、クロウリーが23歳の時、ケンブリッジ大学を中退し、黄金の夜明け団に入団します。しかし、ここで教えていることは、すでにクロウリーが独学ですでに学んだことばかり。クロウリーにとっては釈迦に説法だったのです。クロウリーは次第に物足りなさを感じます。

そしてとうとう1899年にネス湖の湖畔に屋敷を購入し、そこで15世紀以来、ほとんど行われていなかった魔術の実験を行なっていたそうそうです。それで実験をしていたら、使用人が突然自殺をしたり、酒を飲まないはずの御者(※3)が急に酒をあおりアル中になったりと色々不思議な現象も起こったのです。そんな危険な魔術をクロウリーはやっていたのです。そんなことをやったり、団員を見下す態度をとっていたので、とうとうクロウリーは黄金の夜明け団を追放されます。

ある日、クロウリーは天使エイワスの声をきいたと言います。「汝の意志するところを行え。これこそ法の全てとならん」と。運命を神に委ねるのではなく、人自らが神となる、つまり、あなたが思うように生きなさいということでしょう。とはいえ、自分勝手に他人の迷惑をかけてまで生きるのはダメだと。そのためには魔術の修行が必要だとクロウリーは思ったのでしょう。

3 クロウリーの挫折
しかし、そんなクロウリーに次々と不幸が訪れます。娘を腸チフスで幼亡くしております。妻との関係も悪化。クロウリーは魔術に没頭していましたが、妻は全く興味がなかったのです。魔術ばかりハマってロクに働かない夫に嫌気がさしたのでしょう。妻はアル中になってしまい、とうとう離婚してしまいます。莫大な親の遺産も徐々に底をついてしまいます。

1907年、クロウリーが32歳の時に魔術教団「銀の星」を結成します。この魔術団は、儀式魔術を劇場で入場料をとって公開をしていたのです。本当のところ、儀式魔術は秘密にしなくてはいけないのに。それでバチが当たったのか、新聞でクロウリーの教団は叩かれるのですね。そして追われるように、イタリアのシチリア島にクロウリーは移住します。そこで活動をしたのですが、そこで若い信者が食中毒になってしまい、再び新聞がバッシングをするのです。新聞はクロウリーは「邪悪な魔術師」とレッテルを貼られ、イタリアから出ていったのです。その後、クロウリーはお金に困り、各地を放浪したのですが、めげずに「私はいつでも復活できる」と言い聞かせていたそうです。

そして1925年、50歳の時に魔術集団東方聖堂騎士団の総帥に就任します。転んでもただでは起きない人ですね。それからクロウリーは執筆活動を熱心にします。その数、100冊以上を超えるそうです。その中でも一番有名なのは『魔術 理論と実戦』という本で、その本には魔術の儀式やその手順などが書かれているそうです。本来、魔術は秘密にすべきなのですが、クロウリーは老若男女、全ての人に魔術を知ってもらいたいと思い、この本を書いたそうです。そして1947年12月、クロウリーは亡くなります。享年72歳。

※1 パキスタンと中国の境目のカラコルム山脈にある山。世界で二番目に高い。標高は8,611m

※2占星術だとか古今東西の魔術を一つの体系として総合的に研究する団体。詩人のウィリアム・イエイツや舞台女優のフローレンス・ファーなどの著名人も在籍していた。

※3馬を扱うもの。馬車に乗って馬をあやつる者

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