最近cs で大山ドラ時代(それも放送当初)の「ドラえもん」を見させていただきました。ドラえもんの連載が始まったのは1969年。大山ドラの放送が始まったのは1979年でした。登場人物のセリフが今より過激だったり、しずかちゃんが「のび太さん」ではなく、「のび太君」と呼んでいるのは違和感覚えました。また、大山ドラを見たついでに図書館で「ドラえもん」の単行本を借りて読んでみました。

改めて見せていただいて、子供の頃に見た印象と色々違いました。特に、のび太を取り囲む大人たち。ドラえもんと同じ国民的アニメの「クレヨンしんちゃん」に出てくる大人たちは、しんちゃんに振り回されているだけで基本的には常識人が多い。というか大人まで狂っていたら、クレしんは成り立ちません。ところが、「ドラえもん」の大人たちは、のび太のパパと、おばあちゃんとか、しずかちゃんのパパとか一部をのぞけば問題のある大人が多い。特にのび太のママと先生。

のび太のママは怖いママだという印象がありますが、改めてみるとヒステリックに怒るだけで、あんまりいいお母さんじゃないなって。成績が悪いんだったら、頭越あたまごしに怒らないで、一緒に勉強を見てあげたほうが、お互いのためだと思う。

勉強しろといっておいて、自分はテレビみて、せんべえ食ってたら説得力ないですね。美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」では、かあちゃんが男に混じって懸命ケンメイに働いている姿をみて、子供は、必死に勉強して大学をでてエンジニアになりました。百の説教より、親の姿勢ですね。「ヨイトマケの唄」聴かせてあげたいですね。のびママに。


そして何よりも、ジャイアンとスネ夫にいじめられているのをママは知らないのかって思いましたね。のび太がジャイアンとスネ夫にボロボロにされ傷だらけになったのに、のび太が帰ってきたら、心配するよりも、帰りがオソいとガミガミ怒るばかり。これじゃあ、のび太がママに心を許さないなって。普通親がそこまでいじめられたら、心配するし、学校にもいうでしょ。また、のび太がせっかく貯金チョキンしてためたゲーム機をあっさりジャイアンにとられても、無視するなんて。こんなの普通だったら親が怒ってジャイアンの家へ押しかけ取り返しに行くでしょ。

また、のび太は夜更かしをしていないのに、学校でもたり、家に帰ったら昼寝ヒルネ。これは、ナマけているというより、そもそも体の調子がよくないのではないかって、これは一度医者いしゃに見せたほうがいいと、少なくとも僕の母なら思いますね。

実は、藤子・F・不二雄先生は高度成長期の教育ママをモデルにして、のび太のママを描いたそうです。70年代ないし80年代は、いい学校、いい会社に入れば絶対幸せになれるって神話が信じられていた時代でしたからね。昔はいい大学に入っていれば、それだけで一流企業に入れた時代でしたからね。

で、落ちこぼれは我が子でも冷たくされたのです。だから、家庭内暴力カテイナイボウリョクが社会問題になったんですね。かつて戸○ヨ○トス○ー○が注目されました。あの学校がモデルの映画見たけれど、親も悪いなって。散々さんざん冷たくしておいて、子供が言うこと聞かなくなったら、高いお金払って、預けっぱなし。

まあ、そんなのびママも、時には優しい面も見せるので、やはり親だなっておもうこともあります。アニメは、のび太が帰りが遅くなった時は、うんとしかった後におにぎりをつくってくれたり。時にはナグサめてくれたり。

ちなみに、最近のわさドラにでてくる、のび太のママはそんなに叱らないんですよね。最近の親は子供をあまり怒りませんが、そんな時代の風潮か。

のび太の先生のほうは、完全に成績至上主義セイセキシジョウシュギ。良い成績の生徒は贔屓ひいきするが、成績が悪い生徒にはダメ人間あつかい。のび太を廊下によく立たせるが、そうした体罰により授業を受ける機会を奪って、ますます、のび太は授業についていけない。悪循環です。で、先生はのび太を怒るばかりで補習とかしてくれない。ある時、先生がのび太に「なんで0点ばっかりとるのかね?」と聞いたところ、のび太が「先生がくれるからです」と返したといいます。ナイスな返しですねwのび太って勉強はできないけれど地頭はよいのでしょう。



そして何よりのび太の先生が一番ダメというか悪いところは、のび太がいじめられていることに無関心なのですよね。スネ夫やジャイアンをしかるのも成績が悪いとか、そんなのばっかり。優等生の出来杉のことはエコひいきも良いところ。その出来杉さえもちょっと点数が落ちると「どうした、君らしくない」と少々なじる。たまに、のび太の先生もよい事もいうし、決して悪い先生ではないのですが。

でも、のび太の先生は「キテレツ大百科」にでてくる佐々木先生にはかないませんね。佐々木先生は厳しいけれど、生徒思いだし、絶対えこひいきしない。「キテレツ」に出てくるガキ大将にブタゴリラというのがでてくるのですが、ブタゴリラがいたずらをしたらきちんと叱るし。体育はだめだが、割と勉強ができる主人公のキテレツにだって容赦ようしゃせず、カミナリを落とすし。イジメなんてしようもなら激怒すると思いますよ、佐々木先生は。


まあ、昔は結構多かったのですよね、のび太の先生みたいな教師。今でこそ個性が大事って言われてますが、昔はエコひいきもそうですし、理不尽リフジンな体罰もあった。子供をげんこつや道具でたたくのは当たり前、廊下に立たせるとかも普通にあったといいます。それは日教組の先生でさえやっていたといいます。また、愛知県とか一部の地域では管理教育というスパルタ式の教育が行われていたといいます。僕の中学時代の先生でも生徒の顔を思いっきりビンタし、生徒の鼓膜が破れたといいます。で、その先生は一年で異動になったほど。

そのアンチテーゼとして、「金八先生」とか「熱中時代」、さらには「僕らの7日間戦争」といったドラマや小説がうまれ、いきすぎた成績至上主義や体罰、管理教育への反発から校内暴力へと繋がったのですよね。また、尾崎豊さんが「15の夜」や「卒業」といった名曲を生み出したのも、こんな教師たちへの反発が背景にあるのですね。


で、ジャイアンもスネ夫も今見ると結構理不尽ないじめをしているし。ジャイアンなんて、かってきたばかりのバットで殴らせろだって。ひどいねえ。実は、1980年代はいじめが社会問題になりまして、自殺も問題になったし、1986年には葬式ソウシキごっこ事件なんてありまして、男子生徒が日常的に暴行を受けるまでになり、さらに、そのいじめグループらの主催によって学校でその男子生徒の「葬式ごっこ」が開かれることとなったのです。その「葬式ごっこ」にはなんと担任教師ら4人が加担し、寄せ書きを添えていたといういうから本当にあきれた話です。

ママは教育ママだし、先生は成績至上主義、ジャイアンとスネ夫は理不尽ないじめをするし、のび太はドラえもんがいるから救いがあるのだなってつくづく思いますね。藤子先生は、ドラえもんを通していじめや学校の問題を描いていたのだなあって。

もっとも、後期の大山ドラも、最近のわさドラも、ソフトな感じになって、ジャイアンも昔ほどのび太をいじめないのですね。昔はのび太みたいなタイプは落第生でダメ人間のレッテルしかはられませんでしたが、最近は割とのび太の優しさとか、そういった面が前面に出されているのですね。現在は、のび太が再評価されていますが、そうしたこともアニメに反映されているのですね。