以前、NHKで邪馬台国やまたいこくの特集をやっていました。

ジョークはさておき、邪馬台国のあった場所は台湾説たいわんせつだとかいろいろな説がありますが、畿内説きないせつおよび九州説の二つが有力でしょう。この論争は私が小学生のころからすでにありました。あれから2年いや20年以上った今でも決着がついていないようです。

さて、畿内説きないせつ根拠こんきょ銅鏡どうきょうです。正確に言えば三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょうと呼ばれています。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』に中国の皇帝こうていが邪馬台国に銅鏡をあげたと書いています。その銅鏡が畿内(関西)で大量に見つかったが、畿内説の有力な手がかりになっております。

一方の九州説きゅうしゅうせつの根拠の一つは吉野ヶ里遺跡よしのがりいせきでしょう。。1989年に九州の吉野ヶ里遺跡が発見されたときは、邪馬台国の位置論争はこれで決着がつくと当時中学生だった私は思ったものでした。個人的には九州説を支持しますが、九州説も決定打けっていだがないようでして・・・

しかし、『魏志倭人伝』に書いてある方角と距離きょりどおりに進むと、日本よりはるか南方の海の中になってしまいます。もっとも当時は正確な地図やGPSなんて無かった時代ですからねえ・・・

ともあれ、こういった論争が続いたほうがロマンがあっていいと思います