日帝時代、わが家は

以前に韓国かんこくの女性英文学者である羅英均(ナ・ヨンギュン)氏の父親と叔母おばの(主に父親)生涯しょうがいをつづった本を読んだことがあります。韓国が日本の植民地だった時代から朝鮮戦争ちょうせんせんそうまでの歴史を筆者の一家の視点を通してえがかれています。

筆者は、屈辱的くつじょくてきともいえる日韓併合にっかんへいごうの歴史は、今日の自分達の否定ひていできない一部分を形作っていると述べています。韓国の歴史を語る上で、日本の植民地時代は良い面も悪い面もふくめて欠かせないという事なのでしょう。

この本で語られている筆者の父親はなんと14さいのときに無理やり結婚けっこんさせられて、その束縛そくばくからげるように日本に留学して、大杉栄(おおすぎさかえ)に出会い社会主義に目覚め、三・一運動にも参加しました。が、彼は教条的きょうじょうてきなマルキストにはなれなかったのです。それでも、韓国の現状をなげき、韓国の明るい未来を築くための情熱は後年まで変わらなかったそうです。

当時の韓国は日本の植民地であったが日本人の迫害はくがいのみならず、中国人の略奪りゃくだつや暴力、ロシア人の横暴おうぼうと無法地帯だったそうです。韓国の地をらしたのは日本だけではなかったとは知らなかった。

筆者の父親は「わたしたち朝鮮人は不幸を経験するたびに他人をうらみ、状況じょうきょうのせいにしてきた。このことはほとんどわたしたちの悪いクセだ。朝鮮人ちょうせんじんが貧しくなったのは、日本人や中国人よりも朝鮮人自身にもっと大きな責任がある」と考えたそうです。

筆者の父親は反日主義者でありましたが、日本や日本人に対してむやみに非難するような人ではなかったそうです。日本の良いところは良いと認めていた。そんな父親に育てられた筆者だからこそ、日本の統治時代を冷静に語ることが出来るのでしょう。例えば、彼女の担任だった日本人の先生は、民族差別を全くしない人もいれば、韓国人を偏見へんけんの目で見ている先生もいたと語る具合に。日本人を侵略者しんりゃくしゃという目で相手をみないで、血の通った人間として見るべきだという考え方が筆者の羅英均さんにあるのでしょう。

* この記事は2007年ごろに書いたものを加筆修正したものです。