これまで戦前の悪い面ばかり書いたので、今回は良い面も書きますw
1 電気冷蔵庫があった
山本夏彦さんの『誰か「戦前」を知らないか』を読んでおどろいたのですが、戦前の電化製品といえば電気冷蔵庫に掃除機、洗濯機、それからクーラーもあり、なかったのはテレビくらいだと。テレビ自体はすでに発明されていたのですが、まだテレビは市場に出回っておりませんでした。
電気冷蔵庫や、洗濯機や掃除機なんて高度成長期を僕は連想しますが、すでに戦前からあったのですね。というか、電気冷蔵庫が世界で最初に発明されたが1834年(天保5年)。日本で言えば江戸時代ですね。そんな昔から電気冷蔵庫ってあったのですね。でも、冷蔵庫が発明されたのは外国。日本に入ってくるが明治以降。大正12年(1923)に、アメリカのGE社製の冷蔵庫を東京電気(今の東芝)の電気冷蔵庫を輸入し販売しました。昭和3年(1928)には、その広告文には「氷やアイスクリームを自由に作ることができます」と。
そして昭和5年(1930)、輸入品ではなく、純国産の電気冷蔵庫が初めて開発され、昭和8年(1933)に本格的に国産冷蔵庫が売られるようになりました。価格は720円。「へえ、720円って安いじゃん」って思うのは現代人の感覚wおもちゃの冷蔵庫と違うんだからw。当時の720円とは小さな家が一軒買えるほどの金額。だから、電気冷蔵庫を持っていたのは一流ホテルか、皇族、それから相当なお金持ちくらいでしょう。
中流家庭のひとたちは電気冷蔵庫なんて買えないものだから、氷の冷蔵庫を使っていたといいます。ちなみに氷の冷蔵庫というのは木製のハコの中に、氷のかたまりを入れて、その氷からでる冷気でもって食べ物とかを冷やしていたようです。昭和30年代を舞台にした「ALWAYS3丁目の夕日」に、木造の冷蔵庫がでてきますが、昭和30年代でさえ、冷蔵庫は庶民にとって高嶺の花だったのですね。
2 シャーペン
シャーペンもなんと戦前からあったようです。オドロキですね。中学を卒業するまでシャーペンを使わずエンピツを使っていたw僕には信じられないことです。というか戦前の人はエンピツを使ってたイメージがあっただけに驚きます。もちろん、今みたいにシャーペンも普及しておらず、持っている人はそんなに多くなかったようですが。
日本初のシャーペンは早川金属工業(※1)の創業者である早川徳次(はやかわとくじ)によって、大正4年(1915年)に発明されました。ちなみに当時はシャーペンのことを早川式繰出鉛筆といいました。けれど発売当初は不評だったようです。軸が金属でできていたため「冬には冷たい」とか「和服には向かない」などの不満があったようです。しかし、。第一次大戦によるヨーロッパでの品薄がきっかけで、横浜の商館から大量に注文が舞い込んだのです。すると今度は日本でもシャーペンが飛ぶように売れるようになったといいます。
3 電気アイロン 電気コタツ
1927年(昭和2)、松下幸之助は電気アイロンを売り出しました。すでに松下はランプやソケットを売り出しておりましたが、このアイロンも松下のヒット商品の一つでした。従来4〜5円だったアイロンを、松下はコストを抑え3円50銭程度で販売しました。
しかし、その品質は低く、アイロンを使う側も不慣れだったことで火災も度々起こったそうです。それで新聞にも火災事件が度々載ったそうです。『東京朝日新聞』には東京のとある邸宅で、つなぎ放しにしてあった電気アイロンから火が出たという事件が取り上げられました。もちろん、松下のアイロンだけが悪かったのではなく、すでに市場に出回っていた外国製アイロンによる火災も発生していたのですが。それでも電気アイロンは普及していきました。
そして松下は電気コタツも売り出しました。1929年(昭和4)のことです。電気コタツと言いましても今のコタツとは違います。置ゴタツの電気式アンカです。コタツというか電気アンカ自体は、大正時代から他社製でありますが、すでに市場に出回っていたのですが火災事故が多かったそうです。しかも高い。それで、松下は安くて安全なこたつ(アンカ)を作ろうと思ったのですね。
そして翌年の1930年(昭和5)には、改良型のコタツ(アンカ)を売り出します。そのコタツの新聞広告は松下幸之助自ら筆を取りました。「強弱自由に温度を下限し得る温度加減装置」、「蹴っても転ばしても絶対危険なき安全二重装置」と。実際コタツの火災事件が多かったからこそ、松下幸之助はことのほか「安全性」を強調したのです。
※1 現・シャープ
※ 参考文献
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1 電気冷蔵庫があった
山本夏彦さんの『誰か「戦前」を知らないか』を読んでおどろいたのですが、戦前の電化製品といえば電気冷蔵庫に掃除機、洗濯機、それからクーラーもあり、なかったのはテレビくらいだと。テレビ自体はすでに発明されていたのですが、まだテレビは市場に出回っておりませんでした。
電気冷蔵庫や、洗濯機や掃除機なんて高度成長期を僕は連想しますが、すでに戦前からあったのですね。というか、電気冷蔵庫が世界で最初に発明されたが1834年(天保5年)。日本で言えば江戸時代ですね。そんな昔から電気冷蔵庫ってあったのですね。でも、冷蔵庫が発明されたのは外国。日本に入ってくるが明治以降。大正12年(1923)に、アメリカのGE社製の冷蔵庫を東京電気(今の東芝)の電気冷蔵庫を輸入し販売しました。昭和3年(1928)には、その広告文には「氷やアイスクリームを自由に作ることができます」と。
そして昭和5年(1930)、輸入品ではなく、純国産の電気冷蔵庫が初めて開発され、昭和8年(1933)に本格的に国産冷蔵庫が売られるようになりました。価格は720円。「へえ、720円って安いじゃん」って思うのは現代人の感覚wおもちゃの冷蔵庫と違うんだからw。当時の720円とは小さな家が一軒買えるほどの金額。だから、電気冷蔵庫を持っていたのは一流ホテルか、皇族、それから相当なお金持ちくらいでしょう。
中流家庭のひとたちは電気冷蔵庫なんて買えないものだから、氷の冷蔵庫を使っていたといいます。ちなみに氷の冷蔵庫というのは木製のハコの中に、氷のかたまりを入れて、その氷からでる冷気でもって食べ物とかを冷やしていたようです。昭和30年代を舞台にした「ALWAYS3丁目の夕日」に、木造の冷蔵庫がでてきますが、昭和30年代でさえ、冷蔵庫は庶民にとって高嶺の花だったのですね。
2 シャーペン
シャーペンもなんと戦前からあったようです。オドロキですね。中学を卒業するまでシャーペンを使わずエンピツを使っていたw僕には信じられないことです。というか戦前の人はエンピツを使ってたイメージがあっただけに驚きます。もちろん、今みたいにシャーペンも普及しておらず、持っている人はそんなに多くなかったようですが。
日本初のシャーペンは早川金属工業(※1)の創業者である早川徳次(はやかわとくじ)によって、大正4年(1915年)に発明されました。ちなみに当時はシャーペンのことを早川式繰出鉛筆といいました。けれど発売当初は不評だったようです。軸が金属でできていたため「冬には冷たい」とか「和服には向かない」などの不満があったようです。しかし、。第一次大戦によるヨーロッパでの品薄がきっかけで、横浜の商館から大量に注文が舞い込んだのです。すると今度は日本でもシャーペンが飛ぶように売れるようになったといいます。
3 電気アイロン 電気コタツ
1927年(昭和2)、松下幸之助は電気アイロンを売り出しました。すでに松下はランプやソケットを売り出しておりましたが、このアイロンも松下のヒット商品の一つでした。従来4〜5円だったアイロンを、松下はコストを抑え3円50銭程度で販売しました。
しかし、その品質は低く、アイロンを使う側も不慣れだったことで火災も度々起こったそうです。それで新聞にも火災事件が度々載ったそうです。『東京朝日新聞』には東京のとある邸宅で、つなぎ放しにしてあった電気アイロンから火が出たという事件が取り上げられました。もちろん、松下のアイロンだけが悪かったのではなく、すでに市場に出回っていた外国製アイロンによる火災も発生していたのですが。それでも電気アイロンは普及していきました。
そして松下は電気コタツも売り出しました。1929年(昭和4)のことです。電気コタツと言いましても今のコタツとは違います。置ゴタツの電気式アンカです。コタツというか電気アンカ自体は、大正時代から他社製でありますが、すでに市場に出回っていたのですが火災事故が多かったそうです。しかも高い。それで、松下は安くて安全なこたつ(アンカ)を作ろうと思ったのですね。
そして翌年の1930年(昭和5)には、改良型のコタツ(アンカ)を売り出します。そのコタツの新聞広告は松下幸之助自ら筆を取りました。「強弱自由に温度を下限し得る温度加減装置」、「蹴っても転ばしても絶対危険なき安全二重装置」と。実際コタツの火災事件が多かったからこそ、松下幸之助はことのほか「安全性」を強調したのです。
※1 現・シャープ
※ 参考文献
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