history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

タグ:正倉院

(この記事は2015年に書いた記事を加筆修正したもので、「歴史秘話ヒストリア」で正倉院のことが取り上げられたことを機に書かせていただきました)

昔、大河ドラマ「江」(ごう)で織田信長がめいの江に東大寺と呼ばれる香木をプレゼントする話が出てきました。この香木は蘭奢侍らんじゃたいと呼ばれた天下一の香木であります。それを神も恐れぬ信長が切り取ったそうです。

蘭奢侍らんじゃたいは東大寺の正倉院に保管されています。これは信長だけでなく、足利義政や明治天皇など時の権力者たちが非常に関心を持った宝物です。蘭奢侍らんじゃたいをよく見ると一部を切り取られたような傷が50くらいあるそうです。

ある日、信長が東大寺の宝物をすべて見せよと命じると、僧侶が持ってきたのが、この蘭奢侍らんじゃたいなのです。一部を切り取り、信長があげたのです。信長はたいそう喜んだといいます。蘭奢侍らんじゃたいのような有名な香木を手に入れることは、著名な茶器を持つのと同じくらいの名誉だったのです。

この香木からはなんともいえない香りがするそうです。ふつう香木の香りは甘いとか辛いとか、せいぜ香りが一つ、おおくても二つの香りがまじったような感じなのですが、この蘭奢侍らんじゃたいだけは、ドルチェ&ガッバーナじゃなかったw甘い、辛い、酸っぱい、苦い、塩っ辛い、と5つの香りを持っているような、この世に一つとないような不思議な香木だといいます。だからこそ、時の権力者を魅了したのでしょう。

ただし、蘭奢侍らんじゃたいは正倉院宝物目録での名は黄熟香おうじゅくこうと言われています。

もちろん蘭奢侍らんじゃたいは大変な宝物だから、なかなか見ることはできません。

東大寺の正倉院といえば、2014年の12月の初めに僕もおとずれました。秋の終わりの雰囲気ふんいきが感じられる京都・奈良なら一泊二日いっぱくふつかの旅行をしました。30数年前の修学旅行では東大寺の大仏殿はおとずれましたが、正倉院にはおとずれなかったので、今回はおとずれたいと思っていたのです。

実物の正倉院を見たのですが、思っていたよりも大きいと思いました。教科書にのっている写真だとどうしても小さく見えるから。

厳重な警備のため、正倉院の建物に中に入るどころか、近づく事すら出来ません。なので、外から正倉院の建物をながめておりました。国の大切な宝物が眠っているのですから、当然といえば当然でしょう。

ただ、年に一回、奈良国立博物館にて、正倉院の宝物の特別 展示が行われるようです。さらに、信長も愛したという蘭奢侍らんじゃたいもそのとき一般公開いっぱんこうかいされるそうですね。僕も機会があれば、特別展示会が行われたときに奈良に訪れ、この目で蘭奢侍を見てみたいですね。今はコロナだから厳しいですが、コロナが収まったら奈良に行きたいです。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック




10年くらい前に奈良の正倉院にいったことがあります。いまはコロナの影響で旅行に行くことが難しくなりましたからね。コロナが収まったら、また奈良に行きたいです。奈良はいいところですね。大阪、京都、神戸、奈良と関西は見どころが多いですが、僕はそのなかでも奈良が好きですね。昔は京都だったのですが、いまは奈良ですね。特に法隆寺がある斑鳩いかるがの雰囲気が好き。

さて、正倉院は宮内庁くないちょうの所有らしく、敷地しきちに入ることはできますが、当然中に入ることができません。正倉院の入り口のところには警備の人がいて、ものものしい雰囲気ふんいきでした。それはそうです、奈良時代から伝わる天皇家の司法じゃなかったw至宝がこの正倉院の中にあるのですから。年に一回、奈良国立博物館で正倉院の至宝が公開されるのですが、普段はなかなかお目にかかれません。

さて、この正倉院の宝物はペルシャや中国からシルクロード経由で日本に伝わったものだというイメージがありますが、近年の研究で、ほとんどが国産だということがわかってきました。宝物を分析したところ、演歌なまりじゃなかったw塩化鉛が検出されたのです。塩化鉛は古代日本で白い色をだすために広く使われた顔料です。

では、正倉院の宝物を作らせたのは誰でしょう。それは私ですwうそ、うそw。聖武天皇しょうむてんのうです。聖武天皇は奈良の大仏を作った天皇でしたが、正倉院の宝物も作らせたのです。それは、聖武天皇の地位が盤石ばんじゃくじゃないため、当時みんながあこがれている中国と同じような宝物を作って権威を高めようとしたのですね。中国のものを見本にして、同じような宝物を作ったのですね。

聖武天皇は内匠寮たくみりょうとい職人集団をつくり、彼らに宝物をつくらせたのです。内匠寮の「内」は天皇家、「匠」は優れた職人という意味です。内匠寮は木工や金工など、様々なジャンルの職人が集まり、協力して宝物を作ったのです。

では、なぜこれらの宝物が今日までのこされるになったのか。それはお后の光明皇后の強い願いがあったのです。

聖武天皇が756年に亡くなるとお后の光明皇后が嘆き悲しんだといいます。二人は大変仲睦まじかったようですから。在りし日の聖武天皇の姿を少しでも残したいと思い光明皇后は正倉院に宝物を治めさせたといいます。正倉院の宝物はほとんど聖武天皇が愛用したもの。これらの宝物をみると光明皇后は泣き崩れてしまうほど。

この正倉院は落雷にあったり、宝物の一部が盗難に合ったり、火災に巻き込まれそうになったり、いろいろ大変なことがありましたが、時代を超えても正倉院の宝物は人々に大切にされてきたのです。壊れた宝物があっても度々修理されたりして、宝物は令和の今も残されているのです。

※ この記事は「歴史秘話ヒストリア」を参考にして書きました。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ