history日誌

タグ:紅白歌合戦

※ この記事はウィキペディアを参考にして、2014年4月13日にかいたものを加筆修正をしました 


1 私に一分間時間を下さい
 ことしで紅白70回目をむかえるのですね。歴史のある番組です。戦後間もないころに始まった番組が今でも放送されているというのがすごいです。ちなみに第一回紅白歌合戦の出場者はほぼ鬼籍にはいり、いまでもご存命なのは菅原つづ子さん(令和元年12月31日現在)お一人になってしまいました。

紅白は生放送なだけにいろいろなハプニングがありました。紅白のハプニングで特に語り草になっているのは、おそらく「私に一分間ください」ではないかと。

第35回(昭和59年)の紅白は、都はるみ(※1)さんの引退劇でした。

都はるみさんは結婚けっこんで芸能活動をやめてしまう都はるみさんの最後の花道です。都はるみさんは大トリで「夫婦坂」めおとざかを歌いきりました。「夫婦坂」を歌い終わったとたんに都はるみさんは、泣き出してしまいました。



すると、NHKホールの観客席から「アンコール」が。会場のNHKホールはものすごい興奮に包まれています。すかさず当時の白組司会者だった鈴木健二アナウンサー(※2)が、「私に一分間だけ時間をください!」といって、都はるみさんにアンコールを頼んだのです。



※1 日本の歌謡界かようかいを代表する歌手の一人で昭和のころには、たくさんのヒット曲を出した。主なヒット曲は「北の宿から」「好きになった人」「大阪しぐれ」など


※2 元NHKの看板アナウンサー。「クイズ面白ゼミナール」「歴史への招待」という番組の司会をやっていた。気配りのうまさと、バツグンの記憶力きおくりょくの持ち主だった。彼が書いた「気くばりのすすめ」はベストセラーになった。紅白の司会も昭和58年から60年まで3度つとめた


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2 ものすごい熱気
 僕も紅白をいくつも見ましたが、会場からあれほど熱気が感じられたのは他にありません。最近の紅白でAKB48や嵐が歌うときの会場の熱気もすごいけれど、やはり昭和59年の紅白の熱気はスゴイと思いました。

ちなみに、鈴木さんの「私に一分間時間をください」は全く台本に書いてない、まったくのアドリブだそうです。

鈴木さんが都はるみさんにアンコールをするように説得をはじめたのですが、鈴木さんが説得をしている最中に都はるみさんの名曲「好きになった人」の演奏が流れました。

はるみさんは泣くばかりでまともに歌うことができません。紅白両軍のメンバーがはるみさんを囲んで「好きになった人」を歌っていました。




3 ミソラ・・・ミヤコさんに

 「好きになった人」の演奏が終わると、紅白の総合司会をつとめた生方恵一(※3)さんという元NHKアナウンサーが登場します。

そして、生方さんが「もっともっと、たくさんの拍手はくしゅを、ミソラ…、ミヤコさんに、お送りしたいところです 」と言ってしまったのです。生方さんはキャリア豊富なアナウンサーだったのですが、そういう人でも「都」を「ミソラ」と間違まちがえるからおそろしい。

紅白は生放送。事前にちゃんと準備をしても、本番何が起こるかわかりません。しかも、紅白には魔物がいるといわれています。これまで多くの司会者や歌手たちが紅白の魔物まものになやまされてきたのです。

なお、その時の話はこちらのサイトに、その当時の話がよくまとまっております。

http://www.news-postseven.com/archives/20131229_233702.html







あとは当時の白組の司会者だった鈴木健二さんのご著作にも、1984年の紅白の裏話が書かれております。私も図書館で借りて読ませていただきましたが、あの紅白の舞台裏で司会の鈴木さんをはじめ当時のスタッフたちは、都はるみさんの引退劇を盛り上げるために、ここまで気を配っていたのかと驚かされました。

また、この本を読んで驚いたのが、鈴木さんが「自分のやったことはNHKの先輩たちが築きあげたもの。それは後進のためにお返ししなければいけない」みたいなことがこの本に書かれていたのです。鈴木さんといえば、紅白だけでなく「面白ゼミナール」という番組でもバツグンの記憶力と司会ぶりを見せていた方。普通だったら「俺はすげーぜ」などと言いたくなるのが人情ですが、鈴木さんはそうじゃない。

それどころか、今の自分があるのは自分の実力というよりもNHKが積み重ねたノウハウがあったからであって、NHKを離れれば自分は普通の人だと主張するのですから。





※3 NHKの元アナウンサー。紅白の総合司会は3度つとめた。第35回紅白の翌年の昭和60年に生方さんはNHKを退職し、都はるみさんは平成に入ってから歌手に復帰。生方さんは「はるみちゃん、もどってきたんだ」とよろこんだそうです。

※ オマケ 
ことしもお世話になりました。らいねんもよいお年を。きょうはことしの干支、イノシシの動画をみてお別れしましょう。東京の土手でもイノシシがみられるようになったのですね・・・開発がすすんで、住処を追われたイノシシが東京にもやってきたのですね・・・・来年は東京オリンピックでめでたいのですが、環境問題について考えさせられます。




1 つらいものなり局アナの白組司会。アドリブ重視だった紅白
 紅白の司会者というのは大変だそうです。何しろ生放送ですし、時間の調整がすごく大変なんだそうです。特に初期の紅白なんて大変だったそうですよ。

よく紅白は電話帳なみのぶあつい台本があるという話もききますが、初期の紅白は台本も今よりもずっとうすく、アドリブ重視だったそうです。

昔、紅白の出演者は一人3分以内と決まっていたそうです。しかし、本番になってそれを守る歌手は少なくて、実際の持ち時間より長く歌う人もいたそうです。また、紅組の司会者は女優さんやタレントが多く、よくしゃべるそうです。

そうやって時間がのびていくとシワ寄せがくるのが白組なわけです。時間調整をするために、自分がしゃべるセリフを短くしなくてはいけない。場合によってはトリをつとめる大御所おおごしょの歌手に頭を下げて歌う時間を短くしてもらうこともあったそうです。それが出来るのはNHKのアナウンサーってわけです。

また、昭和30年代は、ぽこち〇とかw、オナ〇ーとかw、放送禁止用語をよく知らないタレントもかなりいたそうです。そういう面でもアナウンサーのほうが安心ってことなのでしょうね。だから、歴代の紅白で白組の司会をアナウンサーが務めることが多いのは、そういう理由があるからなのです。

紅組の司会者(ただし、タレントや女優の場合)は自分のチームのことを気にしていればいいが、白組の司会を務めるアナウンサーは、自軍だけでなく、番組全体のことを考えなくてはいけないから大変みたいですね。

逆に言えば、白組のアナウンサーは番組進行のカギをにぎっていたといってもよいでしょう。紅白におけるアナウンサーの仕事は大変ですが、「自分が番組をもり上げるんだ」というやりがいや、達成感も味わえたのかもしれません。

2 紅白両軍が男性司会
 第58回(平成19年)は白が笑福亭鶴瓶さんで、紅が中居正広さんと両軍が男性でしたが、過去に両軍が男性だったことがありました。それは第6回(昭和30年)と第7回(昭和31年)。紅組が宮田輝(みやたてる)・元アナウンサーで、白組は高橋圭三(たかはしけいぞう)・元アナウンサーでした。

紅組司会の宮田輝さんは「なんでオレが女性軍の司会なんだ」と不満を感じていたようです。さらに「高橋のほうが女形おんながた(※2)のような顔をしているのだから、高橋が紅組の司会をやればいいじゃないか」ともこぼしていたそうですw

第7回の紅白のときは、たいへんだったそうですよ。紅組の司会者だった宮田輝さんに、会場の観客から「男の癖に女の味方か!」とやじられたそうです。さらに紅組の応えんにけつけた男性タレントは女形をして登場したところ、白組のほうから(会場の観客?)から散々やじられたそうです。


3 司会じゃなくて誤解じゃないの?

 第17回(昭和41年)の紅組の司会者は歌手のペギー葉山(はやま)さんでした。ペギー葉山さんはむかし、「ポンキッキー」に出演し、しつけのおばさんなんてやっていましたw

それはともかく、ペギーさんは司会の話を聞いたときこまったそうです。それで、ペギーさんはご主人に相談したところ、「君が司会をやるなんて、司会じゃなくて誤解じゃないのか?」とからかわれたそうですw

それから、ペギーさんは外国の友人に相談しところ「楽しんでやりなさい」とはげましてくれたそうです。友人のはげましもあってペギーさんは司会を引き受けたそうです。

本番近くになって、ペギーさんは台本をもらったそうですが、その台本には何も書いておらず、「その他、適当に」ばっかり書かれていたそうですwだから、ペギーさんは紅組全員のレコードを丸暗記するほどいて、イントロはいくつ、何秒って覚えて、セリフは自分で考えたそうです。ちなみにペギーさんが司会をつとめた年の紅白は、紅組は大勝利を収めたそうです。

※ 参考文献

昭和史が面白い (文春文庫)
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今日から数回にわたって紅白の話をしたいと思います。今日は第一回紅白歌合戦の話を。

1 昭和26年に始まった紅白

 第一回の紅白歌合戦は昭和26年に放送されました。そのころは、まだまだ戦争の傷跡きずあとが消えぬころ。そんな時代にこの番組は始まりました。

今の紅白はNHKホールでやっておりますが、昭和26年は千代田区にあったNHKの東京放送会館の第一スタジオで行われたそうです。ちなみにNHKの東京放送会館の建物は今はもうなくなっているそうですね。

2 昔の紅白と今の紅白のちがい
 昔の紅白と今の紅白はいろいろとちがいがあったようです。たとえば、今の紅白は大みそかにやりますが、第一回は1月3日におこわなれたそうです。大みそかの夜にやるようになるのは、第四回(昭和28年)の紅白からだそうですね。

今の紅白は曲目や曲順が事前に発表されますが、このときは明かされなかったそうです。放送時間は1時間ほどだったといいます。今は4時間ないし5時間くらいの長さですが、このころはだいぶ短かったようですね。

そして何よりも違うのは、昭和26年の第一回はラジオで放送されたこと。日本でテレビの放送が始まったのは昭和28年だから仕方ありません。



3 曲順と出場歌手

 白組の司会者は藤倉修一(ふじくわしゅういち)アナウンサー。紅組の司会者は加藤道子(かとうみちこ)さん。

最近の白組の司会は嵐だとかSMAPの中居正広さんだとかジャニーズが多いのですが、昔はNHKのアナウンサーが白組の司会者をやっていました。

紅組は井上真央さんや森光子さんとか女優さんが多いのですが、第一回の紅組司会者の加藤道子さんも女優さんだったみたいですね。

ちなみに出演者は、NHK紅白歌合戦の公式サイトを。

http://www1.nhk.or.jp/kouhaku/history/history_01.html
(紅白の公式サイト)

ちなみに第一回の勝利チームは白組でした。

参考文献

NHK紅白60回(ステラ臨時増刊)

日刊ゲンダイの12月28日の記事


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