足利義満は室町幕府3代将軍です。義満といえば、金閣寺や日明貿易のイメージがありますが、彼は策略家でした。義満は有力守護大名の力を削ぐために、内部抗争を利用したのですね。

実は室町幕府は非常に不安定な面がありました。将軍といえども強力な直轄軍を持っておらず、しかも室町幕府は財力もあまりありません。一方の斯波や土岐、細川といった守護大名たちは自分達の軍隊を持っておりましたし、土地も財力も持っておりました。特に山名氏の支配地は、丹後,因幡,伯耆,美出雲,但馬、隠岐に加え、山城,和泉,紀伊といった、山陰だけでなく、近畿にも勢力を及ぼしていたのです。それぞれの国を山名一族が支配していたのです。それで山名は六分の一衆殿と呼ばれたほど、強大な勢力を持っていたのです。日本全国の6分の1を山名が支配していたという意味です。その力は幕府よりも強かったと言います。だから幕府のいうことを聞かず勝手気ままに振る舞っていたのです。

徳川幕府は、参勤交代とか、普請やらで諸大名にお金を使わせ、その力を弱めさせておりましたが、室町幕府はそういうことはやっておらず、守護大名がどんどん力が強まっている状況でした。

しかも、守護大名たちは自分達が幕府を作ったという自負もあったのです。初代足利尊氏の時代、尊氏は諸大名と協力し後醍醐天皇率いる南朝と戦い、幕府を開いた経緯があります。しかも、朝廷が北朝と南朝が別れたまま。社会も依然として不安な状況。

南北朝の動乱というと、足利尊氏と後醍醐天皇のケンカみたいなイメージがありますが、実際は孫の義満の時代まで続いたのです。義満の父、足利義詮の時代には、有力な守護大名が南朝側に寝返り、将軍が都を追われるなんてこともあったのです。1379年には管領の細川頼之を罷免せよと守護大名たちが義満に迫ったと言います。細川頼之は諸大名から厳しすぎると評判が悪かったのです。そんな守護大名たちの圧力に将軍が屈服。将軍であっても、諸大名の圧力の前では無力であることを義満は思い知らされるのです。

このままではいかんと思った義満はまず、馬廻衆という将軍直轄の軍隊を組織します。そして、強力な力を持つ諸大名の力を削ぐ作戦に出ます。それから義満が守護大名たちの揉め事に突っ込んで、内部から崩そうとしたのです。

まず目をつけたのが土岐氏。土岐氏は尾張、美濃、伊勢の3カ国を持っておりました。それが当主の土岐頼康が亡くなり、義満は後継の土岐康行に美濃と伊勢の2カ国を持つことを許し、一方の康行の弟の土岐満貞を尾張の国一国の守護にしたのです。まもなく康行と満貞の間で争いになったのです。義満はこの内紛に介入。一方的に土岐康行を謀反人として討伐したのです。討伐後、義満は土岐氏から伊勢の国を召し上げ、土岐氏の弱体化に成功します。

義満が次に目をつけたのは山陰の守護大名の6分の1殿とよばれた山名氏。義満は、この山名氏もバラバラにしてやろうと、内情を探ったのです。

当主だった山名師義が死去し、山名義幸、氏之、義熙、満幸の4人の息子がいたのですが、彼らは若年であったため、中継ぎとして師義の末弟の時義が山名の当主となりました。これに対して、満幸と師義の弟の山名氏清が不満を示します。その時義が死去、当主の座と但馬・備後の2国は時義の息子時熙が、伯耆の国は氏之に与えられました。しかし、満幸は自分が無視されたとしてこの件でも不満を増大させていったのです。ちなみに義幸は病弱でした。

また山名時熙に対し、従兄弟の山名満幸が不満を持っていたのです。早速、義満は満幸に接近、時熙をそそのかし、2人を戦わせようとしたのです。しかし、時熙はあっさり敗れて逃亡。すると今度は義満は時熙を許し、山名満幸に難癖をつけて、出雲守護職を取り上げてしまいます。それに満幸が幕府に不満を持ちます。

山名満幸は一族を集め、幕府に戦いを挑みます。それが1391年に起こった明徳の乱。そして京に攻め寄せたのです。それで義満は京の町ではなく、京のはずれの内野というところに山名の軍勢を誘き寄せます。ここは、かつて大内裏があった場所で、天皇が住んでいたところで、鎌倉時代に大内裏が焼けて、それ以降空き地になっている土地です。内野で幕府は山名勢を迎え撃ったのです。そしてわずか一日で幕府が山名を打ち破ったのです。そして義満は山名氏から8カ国を奪い、山名氏の弱体化に成功。山名は伯耆、出雲、但馬の3国だけになったのです。

この明徳の乱の翌年に義満は南朝と北朝を統一したのです。これで尊氏の時代から続いた南北朝の乱は終わったのです。

しかし、義満が亡くなってから状況が変わってきます。義満の知略とカリスマ性で何とか保たれていたバランスが崩れ、室町幕府は転がり落ちて行きます。元々室町幕府はそんなに強大な力を持っていなかったので。それで守護代の力も強いまま。応仁の乱、そして戦国の世を迎えてしまいます。

*この記事はNHK「英雄たちの選択」を参考にして書きました。