今日は母の日。母の日にふさわしいテーマを取り上げます。野村克也さんのお母様のお話です。

野村克也さんがお亡くなりになられて、何年も経つのですね。月日の経つのは早いものです。僕は野球をやるのは苦手ですが、見るのが好きで、野村さんのご著書はけっこう読ませていただきました。でも、野村さんが大変な苦労をされたことを知り大変驚きました。


野村さんは人前で泣いたことがないと言われています。ヤクルトの監督をされ、日本一になった時でさえ、涙を流さなかったと言います。そんなの村さんが人生で一度だけ人前で泣いたことがあるそうです。それは、お母様の葬式の時。荼毘ダビに付される直前、「おっかあ、苦労ばかりの人生だったんじゃないのか?」と言いながら号泣されたとか。


野村克也さんは、京都府竹野郡網野町キョウトフタケノグンアミノチョウ(現: 京丹後市 キョウタンゴシ)に野村家の次男としてお生まれになりました。

野村さんの実家の家業は食料品店。3歳のときに日中戦争に出征シュッセイしたお父様が満州にて戦死したのですね。網野町は丹後ちりめんの産地で周囲は裕福ゆうふくな家庭が多い一方、野村家は貧しく、劣等感レットウカンにさいなまれたのですね。


看護師カンゴシだったお母様は病弱で野村克也さんが小学校2年生と3年生のときに二度もガンわずらいい、非常に大変な生活をされたのですね。野村さんはご著書で「母の幸せそうな顔など見た覚えがない」、「この世に、苦労をするために生まれてきたような母だった」とおっしゃっておりました。

それで、家計を少しでも助けるため、野村克也さんは小学校1年生の頃からお兄様と共に新聞配達やアイスキャンディー売りなどのアルバイトをしたのですね。また、父の戦友の助けやお母様の糸繰りの仕事もあり、何とか生活は出来たそうです。

野村家は借家で、家賃が値上がりする度に、より安い物件を探し、引っ越ししたと言います。しかし、それまでの無理がたたって、お母様はがんになったとか。それでまだ小学生だった野村さん兄弟は知り合いの家に預けられ、そこから学校に通うことになったそうです。しかし知り合いとはいえ、他人の家では気を使います。「お腹すいた」のひと言だって言えなかたっと。自分の家とは勝手が違います。

閑話休題、野村さんは、よく「親孝行の子は伸びる」とおっしゃっていました。親に楽させてあげたいと思う選手は、一生懸命やる、だから伸びるんだと。実は野村さんがプロ野球選手を目指したのも「お母ちゃんを楽させてやりたい」との一心からだそうです。

とはいっても、初めから野村さんは野球選手を目指しのではなく、初めは歌手を目指したそうです。貧乏ビンボウ生活から脱却ダッキャクしたいからだと。それで野村さんは中学校のコーラス部に所属したり、俳優になろうと映画館通いをしたりしていたのですが、当時プロ野球の大スターであった赤バットの川上哲治さんや青バットの大下弘さんのあこがれもあったりで、野球選手を目指すようになったとのこと。




しかし、野球をやるとなるとお金がかかります。野村さんは、短パンでランニングシャツで野球をやり、試合に行く時は、後輩にユニホームを借りたとか。周囲からは「野球なんてやらずに家の仕事を手伝え」と言われたそうですが、野村さんは「兄が野球をやらせてくれた。」と回想されています。

それで本当に野村さんが野球選手の夢をかなえたのだから、すごいなって。

野村さんがプロ野球に入ったとき、お母様は大反対されたそうです。でも、野村さんはプロで大成功。野村さんはお母様に楽をさせたくて、仕送りを欠かさなかったそうです。そんな、お母様が野村さんにいった言葉が、「お前がいくら仕送りをくれても、一番最初に送ってくれた1000円に勝る大金はないよ」。しかし、野村さんが送った仕送りは全て使わず、野村克也さんのために貯金してあったそうです。野村さんがいつか金に困った時のために。

ビートたけしさんのお母様もそうだったとか。芸人になったビートたけしさんに、お母様がやたらとお金を無心するので、たけしさんはしょうがない強欲ババアと思って渡したのです。が、たけしさんのお母様はせびったお金を全く手をつけていなかったのです。たけしさんがお金に困った時のために貯金されたと言います。そんな親の愛情にたけしさんは涙したとか。



そして、お母様がプロで成功した頃、ぽつんと野村さんに言った言葉が

「私は、生まれてきて、いいことはなかった。けれど、いい息子には恵まれた」



お母様は、野村さんがプロ入りして15年目、8年連続でパ・リーグのホームラン王を獲得カクトクした1968年(昭和43)のシーズンオフに帰らぬ人となったそうです。

野村さんは現役時代輝かしい成績を残しましたし、監督としても大変すらばらしい功績を残しましたが、野村さんが一番誇れるものは、野球でもお金でもなく、お母様だそうです。今の自分があるのはたくさんの方のおかげだと前置きした上で、「母が苦労しながら病弱な体で頑張り抜いて支えてくれたから、今の私があります」と野村さんはおっしゃっていました。野村さんのようなすごい親孝行は大変で、できることではありません。野村さんほどではなくても、俺(私)には親孝行したくてもできないよ、という方、ご心配なく。親というのは子が日々を無事に過ごしていることが何よりも幸せとも聞きます。ほんの1秒だけ、お母様の顔を思い浮かべるだけでも、親孝行と言えるのではないでしょうか?






*参考文献及び参考サイト
憎まれ役 (文春文庫)
広務, 野中
文藝春秋
2009-11-10



https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03230615/?all=1


https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202002120000327.html