鳥島という島をご存知でしょうか。伊豆諸島と小笠原諸島の中間あたりにある無人島です。明治になって人が入植したと言いますが、この島は火山島で度々噴火するので、人が住める状況ではないのですね。それでも昭和の初め頃までは人がいたのですが、結局、この島は無人島のままです。現在は、この島全体が特別天然記念物に指定されているため、特別な許可がないと入島できないのですね。

鳥島じゃないけれど、僕は高校の頃、青ヶ島に行ったことがあります。八丈島の先で、東京から船で八丈島に行き、八丈島からは小型船で行ったのですが、青ヶ島って遠いなって思いましたもん。鳥島は青ヶ島のさらに先だと言いますから、いかに遠いかって思いますね。

今は無人島です江戸時代、この島に何人も漂流したのです。1681年から1867年にかけて、なんと15件、遭難した数も122人にも及んだと言います。幕末にもジョン万次郎がこの島に漂流したのですね。幸い、ジョン万次郎はアメリカに助けられたのですが。

江戸時代にこの島に遭難した人たちは大抵は数ヶ月、早ければ一日以内に島を脱出するケースが多いのですが、なんと、この地に19年間も滞在した人たちがいたのです。1719年冬、この島に漂流した遠州新居出身の12人の男たち。しかし、病気や老衰とかで次々なくなって最終的に生き残ったのは三人だけですが。この島は植物も小動物もいない(強いて言えばアホウドリがいるくらい)の不毛の地です。だから、そんな島で暮らすのは大変です。島を脱出したくても、乗ってきた船が大波で大破されてしまい、帰るに帰れなくなったのです。

生き残るために、まず必要なのは、住処と食料それから水。住処は島にある洞窟にしました。食料は主にアホウドリ。彼らは幸い道具を持っていたのです。大きな斧、鍋、釜、おけ、火打ち石。火打ち石で火を起こし、鍋や釜でアホウドリを煮たり焼いたりして食べたのです。しかし、毎回アホウドリばかりでは飽きてしまいますし、肉ばかりで野菜も取らないとビタミン不足になり脚気になります。それで亡くなった仲間もいたのです。野菜がないなら海藻を食べればいいじゃないかと思われますが、鳥島あたりには海藻もそんなに生えていません。食糧不足、栄養不足は深刻です。

食糧よりも大事なのは飲み水。かといって海水を飲むわけに行きません。真水じゃないと。それで彼らは桶に雨水を溜めて飲んでいたそうです。しかし、持ってきた桶だけでは足りません。


そんな彼らを助けたのは海辺にちょくちょく流れてついた漂流物。例えば、難破船の破片。難破船の破片から木材や帆布ハンプ、それから舟釘を使って彼らは道具をいくつか作ったのです。まず、船の木材を使って桶をいくつか作っては雨水を溜めたと言います。

また、その木材の木を削って細くし、釣り竿を作り、さらに壊れた船の帆布から糸をひき抜き釣り糸にし、舟釘を石で叩いて釣り針にしたと言います。これで魚を取ることができたのです。

帆から抜いた糸をより合わせ、アホウドリから採れた脂を浸すと明かりになります。アホウドリの脂だけでなく道具を作る作業の時にでた木屑も火の燃料として無駄なく使ったと言います。まさにエコですね。

また、この島に米俵を乗せた船も流れ着いたと言います。その米俵の中に入っている籾米から芽が出てきたのです。しかもその米は赤米で、水が少ない土地でも育つもの。米のヌカの部分はビタミンも豊富だから脚気防止にもなります。流れ着いたのが赤米だったのが良かったですね。普通の米だったら、こうは行きません。大量のお水が必要になりますからね。不幸中の幸いですね。これは神仏の助けかもしれない。実際、十二人の漂流者たちは、いつも神仏に無事に帰れることを念じていたと言います。その願いが通じたのかもしれない。

それで岩の隙間にわずかに土がある場所をいくつか見つけ、そこを耕し、赤米の籾米を撒いたと言います。さらに肥料には食べた魚の頭や骨を使ったと言います。すると年に20升(約30キロ)も収穫できたと言います。しかし漂流者たちはやたらと食べたわけじゃなく、病人が出たときに、お米を薬代わりに食べさせたというのです。

しかし、島での長い暮らしは漂流者たちの心を蝕みます。女房、子供と生き別れたものたちは特に辛かったと思う。それでも、女房、子供に再び会える日を信じ続けたのでしょうね・・・

そして、仲間が病気や自殺で亡くなり、とうとう残ったのはも甚八、仁三郎、平三郎の三人だけ。三人の人間関係はどんどん悪くなります。死んだ仲間の衣類を独り占めしたり、一人で焚き火にあたるなんてこともあったし、とうとうケンカにまで発展したと言います。


そんな三人が揉めているところへ新たな漂着民たちが現れます。その漂流民たちは宮本善八を中心としたグループでした。宮本善八が乗ってきた船は修理すれば、なんとかなる状況。それで船を直して、甚八、仁三郎、平三郎、それから宮本善八一行は鳥島を出発。その船は順調に進み、八丈島に到着。そこから幕府の船に乗せてもらい、無事江戸に帰れたと言います。平三郎たちはなんと時の将軍徳川吉宗にも謁見できたと言います。平三郎たちは故郷の新居に帰り余生を過ごしたと言います。

平三郎たちが島を離れる際、洞窟の中に漂流の経緯を記した書き置きを残しました。さらに余った籾米も撒いておいたと言います。それは後から来た漂流者のためでしょう。普通だったら自分のことだけで精一杯なのに、人様のことを考えらえれるのだから素晴らしいですね。


*参考文献並びに参考にした番組
「ダークサイドミステリー」(NHK)