history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:24時間テレビ

日テレ出24時間テレビやっていますね。この番組は何かと言われております。感動ポルノだの偽善番組って批判されており、障害者を見世物にしてるだの、出演者にギャラがでるのはおかしいとか、募金の使い道はどうなってるとかいろいろ批判されてます。かくいう僕もその一人だった。しかし、最近、24時間テレビの募金のお陰で救われた命もあるし、福祉のために役立っていることは否めないと思えるようになりました。

それに、偽善番組だから24時間テレビの放送をやめろといって、本当に終了したら、困る人もでてくるのですね。日テレの社員が?日テレもそうだけれどw、障害を持った人とか、集まった募金を必要としている人もいるんですね。まして、今の日本の行政はどんどん福祉を削っておりますから。いざ募金を集めるって結構大変なことだし、24時間テレビを通して、福祉について考えることができたら、それはそれで意義深い。もちろん、募金が全額あるいはほとんど、芸能人のギャラや日テレの懐に入って、全く、若しくはスズメの涙程度しか福祉に生かされていないというなら話は別ですが。



ただ、近年の24時間テレビをみていると疑問に思うことが、ひじょーに多い。障害を持った子に無理やりスポーツや芸をさせたり、果ては下半身不随の子に富士山をそれも五合目からではなく一合目から登らせた企画に僕は非常に疑問をもって、それ以来、24時間テレビを見なくなったのです。障碍者もこれだけ頑張っているよって訴えたいのでしょうけれど、僕には昔の見世物小屋みたいに感じられました。

え、見世物小屋って何かって?

珍しいものや、不気味なもの、ひわいなものなど、日常生活では見られないような品や芸、獣や人間を見せる小屋掛けの興行です。日本ではすでに江戸時代からあったようで、明治時代になっても、社会福祉も発展途上で、生活保護とか障碍者福祉なんてありません。そのため、見世物小屋の仕事が身体障害者にとっては金銭を得る為の仕事であり生活手段の一つでもあったのですね。そうして見世物小屋で働いていた障碍者で代表的なのは日本のヘレンケラーと言われた中村久子。彼女は両手がありませんでした。それで両手の無い体での裁縫や編み物を見せる芸を披露したのですね。

それでも24時間テレビも昔は養護学校や老人ホームのレポートをしたり、日本の福祉の現状を真面目に考える硬派な内容だったのですね。テーマも「寝たきりの御年寄にお風呂を」みたいな感じで目的も明確だったそうです。あと、手塚治虫のアニメも毎回やっていて面白かった。それがいつしかバラエティー路線になって、方向性も変になったと。


追記

今回、チラッと見ましたが以前ほど、障害を持った人に無理させる企画はなくなりました。やはり、批判が多かったんだろうな。それと、障害者雇用で有名なチョーク工場をドラマかしたのはGOOD。僕はチョーク工場のお話は「ルビゴンの決断」という番組でしりました。チョーク工場も当初は健常者だけでしたが次第に障害者も雇用するようになりました。しかし、健常者たちは不満をつのらせます。それで、チョーク工場の社長さんは、障害者でも、はたらけるように工夫をして、いまでは社員の半分以上が障害者とのこと。




「働く幸せ」の道
大山 泰弘
WAVE出版
2018-03-22



虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡
小松 成美
Audible Studios/幻冬舎
2020-01-17

24時間テレビをやっておりますね。この番組に関しては厳しい意見も散見しますが、この番組を楽しみにしていたり、募金で救われている人たちもいらっしゃるので一方的に非難すべきかどうか難しい所です。まあ、あんまり障害を持った人たちに対して手荒なことだけはやめていただきたいなと。あと,募金の使い道(内訳)の情報公開もお願いしたいなと。募金のネコババなんてもってのほかですから。

また、まもなくパラリンピックが始まります。頑張って欲しいなって。

歴史上で障害を持った人で有名人と言えば,仙台四郎でしょうか。え、知らない?東京や大阪ではともかく仙台ではめっちゃ知名度高いです。仙台四郎の本名は通説では芳賀 四郎であるが、親族によれば「芳賀 豊孝」だそうです。また、口の悪い者は「バカ四郎」と呼んで痛そうです。

彼は1885年生まれで,1902年に亡くなっております。仙台四郎は知的障害で,会話もままならず,時々出てくる言葉は「バヤン、バヤン」だったとか。また、四郎は、まねごとが好きで、例えば商家の小僧さんが店先で掃除をしていると、小僧さんと一緒になって掃除をするのですね。そんな四郎のことを迷惑がるお店と、逆に喜んで、四郎に食事を食べさせてくれるお店と分かれたのですね。四郎を大切にしたお店は繁盛し、逆に煙たがったお店は経営が悪化したのですね。

それで,四郎自身が選んで訪れる店は繁盛するとの迷信のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇したのですね。四郎が有名になると、それまで四郎を冷遇したお店も手のひらを返して、四郎の気を引きます。が、不思議なことに、一度四郎を冷遇した店に、四郎は二度と近づかなかったのです。


また、四郎が亡くなった後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めたのです。昭和の戦後恐慌以降、四郎のブームが度々発生し、お稲荷さんやえびすさまを差し置いて、四郎は仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着したのですね。今でも仙台の商店街やモールのあちこちで仙台四郎の人形などを見かけます。四郎は福の神さまだったのかもしれませんね。





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(仙台四郎の写真。ウィキペディアより)

*この記事はウィキペディアを参考にしました。

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